KとN、2人の次郎の物語:研究ノートから

KとN、2人は同じ1920年生まれの京童、Kは伊勢安濃津の豪商の次男ただし庶子・Nは五条大和大路の商家の次男である。Kは旧制京都一中、Nは旧制京都二中を出て、高校、大学に進んだが、三高京大のK、姫高東大のNと途は離れた。また飛び級やら留年やら浪人やらで、Kが1年早く大学に進み。1943年の学徒出陣の時、3年生のKは9月卒業で入営、2年生のNは国立競技場を一周した後休学(後卒業扱い)、入営した。Kは国内で終戦を迎えたが、Nは中国戦線で死線をさまよった。

KとN、学生時代に同じような生涯の出合いをもつ。まずKは18歳年上の師匠今西錦司と、Nは23歳年上の師匠有賀喜左衛門と、どちらも精神的な父親だった。またKは同年だが兄貴分の梅棹忠夫と、Nは3歳年上の兄貴分福武直と、この兄貴分たちはどちらも戦争に行かず、侵略の最前線で研究をし、かつ戦後その責を問われなかった。

戦後2人は最終的に東京で教職に就く。しかし70年の大学紛争が彼らの職業人生の後半を掻き回す。Kは大学をやめてしまう。ところがその時期にこそ、2人の不朽の業績、KJ法とライフヒストリー(生活史)法が確立されたのである。

川喜田二郎と中野卓、2人の次郎の物語を、私は書いてみようと思っている。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 尊敬する先輩たち, 私の「新しい学問」 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください