桑畑三十郎、もうすぐ四十郎だがな:『ゴールデンカムイ』第6巻をめぐる親子の対話

子どもがマンガ『ゴールデンカムイ』にはまっていて、夏休みになったのでコミックスを3冊ずつ貸してもらって読んでいる。面白く進んだが第6巻の後半で引っかかった。ある挿話の筋立てが黒澤明『用心棒』(1961年、東宝)とほとんど同じなのだ。子どもに聞いてみると、「『用心棒』、見たことないから分からん」。そりゃそうだ、というわけで、一緒にBSプレミアムで録画したのを見てみた。再び聞いてみると、「構図とか参考にしたと思うし、作者が好きなのだろうと思うけど、お父さんが言うほど似てないよ」だって。さらに「映画、面白いけど、テンポ遅すぎ」。おやおや、さすが今どきの子ども。黒澤映画のスピードも過去のものだ。

省みれば盗作とか剽窃とか、職業柄こだわりすぎなのかもしれない。昔はじめて論文を発表したとき、親しい先輩から「前田愛(アイドル歌手じゃなくて国文学者」のパクリだな」と言われて傷ついたトラウマかもしれない。そんなこと言うなら、あの先輩もこの先輩も皆見田宗介のパクリじゃん。もう一度真っ白な気持ちで、『ゴールデンカムイ』読み直してみよう。

私とて『用心棒』を封切りで見た世代ではない。私がはじめて見たのは銀座並木座のちっちゃなスクリーンで、リマスターされていないので映像はグチャグチャ、音はボロボロだった。その後、浅草東宝のオールナイトで、本来のシネスコで見ることができた。今はビデオ屋でもネットでもBSでも、いつでも最上質の画面で見られる。その反面「アウラの喪失」ではないけれど、古典へのリスペクトのありようも変貌したのかもしれない。

私自身は、久しぶりに見て、登場人物の語りがどれも「合理的選択」なのに驚いた。封切り当時、この映画が冷戦構造のパロディだという批評があったというが、「合理的選択」理論も冷戦構造の産物だった(A.ラパポート『戦争と平和の理論』岩波新書)。映画では皆合理的に選択した挙げ句主人公以外は滅んでしまうが、現実の世界がそうならなくてよかったと思う。やはり「合理的選択」、ダメですね。

もう一度子どもに、一番印象的なキャラは?と聞くと、「本間先生(藤田進)」。いいぞ、その趣味。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 桑畑三十郎、もうすぐ四十郎だがな:『ゴールデンカムイ』第6巻をめぐる親子の対話

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    上の文章、学問的にはちょっとごちゃ混ぜになっていますね。合理的選択理論とゲーム理論は重なり合うけど、一緒じゃない。冷戦構造の産物はゲーム理論ですね。でも、ま、結論は同じです。

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