ひもとくをひもとく:最近の都知事発言から

8月29日朝日新聞朝刊社説「追悼拒む都知事の誤り」のなかで、都知事が関東大震災時における朝鮮人虐殺の追悼式典への追悼文の送付を拒否している理由として、そうした事案は「歴史家がひもとくもの」と言ったと記されている。

私の耳には、近頃この「ひもとく」という言葉が引っかかって仕方がない。一般的には「解説する」といった意味で使われているようだが、私の理解では、ただ「読む」という意味しかなく、さらに「味読再読」ではなくて「試し読み」程度の軽い意味だと思っていた。だって、本のカバーのひも(帙)を解くだけでしょう。美しいやまとことばでも、間違った使い方ならお笑い草だ。

しかし問題は、この「ひもとく」をよく使っているのはマスコミだけではなく私らの学者業界も、なことだ。私らの業界には、「説明する」「分析する」「解釈する」「批判する」といった意味明瞭な言葉がいくつもあるのに、何で「ひもとく」なんていうのだろう。美しい国の美しい学問だから?それなら、せめて左っ側、赤い側はやめてくれ。

都知事の発言の方には、私はもう少し悪意を感じていて、昭和の昔「文学的な」という言い方があったけれど、不要不急の文系学者のことば遊びといった愚弄的ニュアンスを感じる。でも、歴史とはことば遊びではなくて、フロイトがやったように、見たくない過去と向きあい、とことん掘り下げ、その底から立ち上がって、未来に向かって自分を解放することなのだ。

というわけで、この「ひもとく」って言葉、やめませんか。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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