新しいこととお金が好き:私の中に流れる血

私は好きではないのだが、家族は皆好きなので、夏になるとうちの冷凍庫にミルクバーのような棒アイスが詰め込まれる。それを見ていると、祖母のことを思い出す。

6年前に99歳で亡くなった父方の祖母は、商店街(神戸では市場(いちば)って言います)で菓子店を営んでいた。曾祖父は中央市場の青物仲卸だったが、戦後のどさくさで権利(ではなくて、私の推理ではたぶん戦後は衰退したある業界の顧客)を失って立ちゆかなくなり、商店街で八百屋を開業しようとしたが、古参の同業者が同意するはずもなく、結局菓子店ということになったらしい。それも職人を置かなければならない和菓子は無理なので、問屋から雑多な菓子を仕入れてきて売るだけの店だった。しかし、新しいこととお金が大好きな祖母はがんばって店を大きくしたようだ。そのうち隅で野菜も売るようになった。さらに、中学生の父を、大阪の松屋町まで最新のおもちゃやマンガを仕入れに行かせたそうである。

大学の親友の結婚式に出たら、東京っ子の新婦のお母さんから「中筋さんて、神戸の中筋商店さんのご親戚ですか」と尋ねられてびっくり。「うちです」「ええっ、あのおばあちゃんお元気ですか。野菜手にとって見てたら、『うちはなあ、見て選ばなならんような、悪い品は置いてへんで。気に入らんのやったら、去んでいんで』て、母がよう叱られてましたわ」「それは私の曾祖母で、70年に死にました」そのお母さんは、隣町にあった鐘紡(日本最古の会社の1つで、アイスも作っていたが、今はない)の社員の娘さんで、満州から神戸に引き揚げてきたのだった。そういえば、祖母は小学校のとき成績がよくて、鐘紡の社長の武藤山治から賞状をもらったと言っていたが、本当かしら。

たしか、婿養子で小学校教師の祖父の勤続か何かの報奨金が入ったとき、祖母はそれでアイスを入れて店先に置く冷凍庫を買った(近頃はまったく見かけなくなりました)。当時その町では珍しかったらしく、アイスは飛ぶように売れて、しこたま儲けたらしい。晩年になっても、祖母は自分の先見の明をうれしそうに自慢していた。いっぽうの祖父は教師の工作の腕を使って、七夕になると、折り紙で笹飾りのオマケを作っていた。幼い私はといえば、友だちに「うち来るとアイス、いっぱいあるで」と自慢してしまい、祖母はニコニコして子どもたちにアイスを振舞ってくれたが、後で母から大目玉だった。

新しいこととお金が何よりも好きだった祖母。私が文学部に進んだとき、「直哉に金儲けは無理やな」と苦笑いした祖母。私たち夫婦が学位を取得したとき、「中筋の家に東大の博士様が二人や!」とにんまりした祖母。私はその孫であることを、今しみじみ有難く思っている。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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