よし、わかった!:市川安紀『加藤武 芝居語り』を読む

表紙からして変な本。熊井啓監督『黒部の太陽』のスチルのようだが、大口を開けて走ってくる現場監督の加藤武の顔は、黒澤明監督『隠し砦の三悪人』の冒頭で惨殺される落武者と変わらん。というか、『蜘蛛巣城』でも『用心棒』でも大オーバーな形相で惨殺されてたなあ、この人。その上に赤い毛筆体で「因果と丈夫なこの身体」だと。何なんだ、この本は。

新婚の頃荻窪四面道に住んでいて、荻窪駅西口の改札で、よくこの人を見かけた。見た目は実に渋い老人なのだが、つい「よし、わかった」と声をかけそうになる。私たちの世代には、惨殺される落武者より、石坂金田一の前で胃薬を吹き出す等々力警部の加藤武が懐かしい。

しかし、本の中身はなかなかすばらしい。何より加藤の記憶力がスゴい。あれだけ映画に舞台に出まくっていて、全部覚えている。ただしどの話もオーバーなのが、等々力警部の本領発揮。なかでも『用心棒』の兄貴分、西村晃へのリスペクトが感動的。逆に文学座の盟友、北村和夫の評価が微妙に低くて、これも面白い。北村の不器用な演技を腐せるのは器用な加藤しかいないだろう。

この本の一番の資料的価値は、文学座の女王蜂システムを余すところなく語っているところだ。いくら杉村春子が名優だからって、あんなに長くトップでいられるはずがないと素人は思うのだが、加藤のような忠実な働き蜂がいて成り立っていたことが分かる。文学座のこのシステムについては、北見治一(伊丹十三監督『あげまん』の冒頭にちょっとだけ出ていたのが遺作か?)の『回想の文学座』(中公新書)がある程度まで描いていたが、北見は忠実な働き蜂ではなかったので、今ひとつ分からなかった。

黒澤明監督の『赤ひげ』のなかで若い女優たちに大根で殴られていた名優杉村春子、晩年ちょっと追っかけるように舞台を見て、どれも感心したけれど、女王蜂にかしづく気持ちは分からない。ええっ、5年前に誰かさんにかしづいていたでしょう、と連れ合いは言うけれど。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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