関西電力と「家族の秘密」:一連の報道にモヤモヤする

一連の関西電力の不祥事報道、私はずっと、フロイト=ティスロン(『家族の秘密』文庫クセジュ)的な意味でモヤモヤしながら見ている。

小学校に上がるとき、私の家族は神戸の下町の実家を出て、山の手のマンションに引っ越しした。私は嫌で嫌で、もともと行くはずだった小学校に越境すると言って、幼稚園の先生を困らせた。家族のなかでは、引っ越しは私や弟妹の進学のため、祖父母の納得の上だということになっていたし、今までそうだと信じてきた。しかしほんとうにそうだったのか。

そのマンションは、父の会社のグループ会社が建てたもので、たぶん優先枠があったのだろう。高価な角部屋は同じグループの商事や重工、そうでない部屋は電機や自工といった感じで、うちはそうでない部屋の方だった。まさに侍長屋である。

引っ越して1年間は、父は日曜は必ず家にいて、一緒に外大のグランドで紙ヒコーキを飛ばしたり、夕食にお好み焼きを焼いてくれたりした。ところが2年目くらいから急に忙しくなり、歯はタバコで真っ黒、帰宅は遅くなり、泊まりも増えた、ある日「お父さん、今日帰ってくるの」と母に尋ねたら、母は「妾の子みたいなこと言うな」と激高した。その頃から父母の会話に、大飯とか美浜とか高浜といった言葉が聞かれるようになった。おみやげに「小鯛の笹漬け」が増えた。省みれば、父の方が関西電力の妾だったのである。

もう1つ、その頃から急に盆暮れの贈答が増えた。最近閉店した、三宮のそごうデパートの外商部に家族で出かけるようになった。課長になるかならないかのサラリーマンが外商部?。ずっと後で大学院に合格したとき、母は大井の牛肉の味噌漬けを提げて師匠にあいさつにきた。にこやかに受け取った師匠は、後で私を呼び、「こうしたことは二度としないように。私たちの世界はそうした世界じゃない」と言われ、私は赤面した。でも、これも省みれば、そのとき私は父の世界、ニッポンのカイシャの世界から一歩離脱できたのだ。

何年か経って、父はそうした仕事から外れることになったらしく(外れるのではなくて、原発ができてしまったのだ)、打ち上げということで、関西電力のエラいさんのカバン持ちで、二度も世界一周旅行をした。父は虫歯の悪化とか、旅行中に何度か体調を崩したらしい。それが何のせいだったか、今になると分かる気がする。父はそれなりにいいヒトだったのだ。

で、である。みんな信じられない悪行だ、とか言っているけど、ほんとうかな。昭和のニッポンのカイシャ、ニッポンのおヤクショはどこもそうだったんじゃないの。いや、幼かったから知らないというかもしれないが、それはウソで、みんなニッポンのカイシャ、ニッポンのおヤクショで働くお父さんたちの「子ども」(M.ウェーバーの言い方)じゃないの。と、モヤモヤしているのである。

昔同僚の中西洋先生に「サラリーマン社会こそ日本の深刻な問題だ」と言って、「それは君の問題だろう」といなされたが、やはりこの問題に、私はこだわっている。ただ、今回の報道が照らし出したもう1つの問題は、石牟礼道子ならネクタイコンブと言うであろうサラリーマン社会の外側には、石牟礼が描いたような豊饒な農山漁村が広がっているのではなくて、別の暗がりが広がっているということではないだろうか。

 

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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