再び馬場修一先生のこと

病気をして以来学生を教えることにどうしても熱意を感じられない、転職した方がいいかな、といった愚痴を連れ合いにこぼしていたら、私たちの習った先生たちはどうだったのかしら、たとえば馬場修一先生は、という話になった。3年前にこのブログに記したように、当時駒場で社会思想史を教えられていた馬場先生に、私は大学院入試の時に激しく叱られただけ、見田宗介門下の連れ合いは、馬場ゼミでも割と熱心なゼミナリステンだったそうだ。

連れ合いに言わせると、馬場ゼミには親密で安全な空気が濃く漂っていて、それを先生は深く愛されていたらしい。ただそれは、大学紛争期の先生の教師としての不幸な経験からくるものだったのではないか。そう言われて、ハタと膝を打った。もしかすると、私は先生の不幸な経験を思い出させるような学生だったのかもしれない。そうでなくても、先生に不幸な経験をさせた社会の側の人間だと感じとられたのかもしれない。要するに、敵だったのだ。たしかに私は、親密で安全な空間より、社交的でリスクに満ちた空間に憧れる者である。

大学院に入った私は、いつか先生に認められたいと思って群集行動を自分のテーマにしたが、それこそ真逆で、群集行動のような集合的暴力に惹かれたり容認したりする私の心情に、馬場先生は怒りを覚えられていたのかもしれない。省みれば、先生の専門のうちにあるベンヤミンやアドルノの、私の決して好きになれない「フランクフルト学派」は、暴力に曝された精神の生き残りの可能性を問うていたのだった。もし先生がご健在で、私の修論や博論を見てくださったら、ますます絶望され、怒りを深められたにちがいない。

長年の謎が少し解けたような気がした。私は馬場先生に理不尽な暴力を振るわれたような気がしていたのだが、理不尽な暴力を直感していたのは、むしろ馬場先生の方だったのだ。分かったからといって、親密で安全な空間に移動するわけではなく、また学生を教えることに意欲が湧いてくるわけでもないが、馬場先生が続けていらっしゃったように、もう少し壊れものとしての教師の仕事を続けてみようと思った。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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