生ききった者にのみ安らかな死がある:野口晴哉の整体との関わり

整体協会の機関誌『月刊全生』の1997年3月号の1月入会者欄に私の名前が記載されている。整体協会は少し前に大幅な組織替えを行って、私の指導者たちは皆引退してしまったので、私も今は会員でない。しかし偶々バックナンバーで上記の記載を見つけて、懐かしい思いがした。

整体協会は、近代日本の民間療法家の中でもっとも影響力があったといえる、野口晴哉(はるちか)が始めた団体である。私がこの団体を知ったのは、まだ結婚する前の連れ合いに誘われたからで、連れ合いは師匠の見田宗介先生から教わったのだった。当時の見田ゼミは、竹内敏晴とか鳥山敏子とか野口三千三(野口体操、野口整体とは別)とか、そうしたこと(ばかり)を学んでいて、私はそうしたニューエイジ的雰囲気を敬遠していたが、結局その毒気にあてられたということかもしれない。

はじめて一般も参加できる会に出たとき、そこで営まれる、大人数の一人ひとりが身体の内発的運動に委ねる「活元運動」の異様さにたじろいだが、その際流される音楽が私の得意なマーラーの交響曲だったので、首の皮一枚でつながったという感じだった。しかしはじめの数年間は、連れ合いのお付き合いの範囲を越えなかった。

ミイラ取りがミイラになったのは、結婚後入会してから半年くらいして、ある指導者からほとんど命令されて参加した会でのことだった。中途半端な気持ちで参加していたのだが、一緒に運動している背後の人から何とも言えない清々しい感じ(整体協会では「気」という)が伝わってきた。運動している間は目をつぶるのが約束なので、誰かは分からない。私はきっと指導者だと思った。終わって目を開けたとき、私の背後にいたのは小さな子どもだった。そのとき私の中で何かが弾けたような気がした。それは、子どもを生み、育てようという決意だった。

野口晴哉は近代日本有数のレコードコレクターとしても知られていた。『月刊全生』のどこかに、「ベートーベンの『運命』、休符で始まるなんて気が小さい。」という言葉を見つけて、私は目を見張った。フルトヴェングラー流の「ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン」は間違った偶像だ。「ン、ジャジャジャ」の「ン」が生きたベートーベンなんだ。

私の研鑽が足りないからか、整体はうつ病を防いでくれなかったし、私の人生をバラ色にもしてくれなかった。でも、たぶんこれからも、私は野口晴哉を自分の人生の助言者にしていくだろう。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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