餅の贈与論:子どもの頃の遠い思い出

子どもの頃、中筋家は商店街で菓子を売っていたが、元々は青物の仲買商で、昭和戦前期に建てられた家は、商品を揃えるスペースとして玄関が広く取ってあった。歳末には、そこで餅つきを行った。石の臼をトンカチ型の木の杵一本で搗く関西スタイルだ。搗くのは今は見られない賃搗き屋の若い衆たち。石の臼の分だけでは近所に配るのに足りないので、まだ性能の低かった餅つき機がブーンと低いうなり声を上げていた。子どもの舌にも餅つき機の味は悪かった。暗い白熱球の灯りの下で、たくさんの大人たちがワイワイガヤガヤ働いている。それが私の歳末の原風景だ。

年明けには、母の実家から、母の母の郷里の金沢の習慣らしい、薄く切った色とりどりの餅が届く。いや、年賀のみやげに持たされたのかも。海苔の入ったのや海老の入ったのが美味しかった。

東京・下井草でひとりぐらしをしていた頃、近所のスーパーに新潟から賃搗き屋が来ていた。私は懐かしくてつい、休み時間のお兄さんたちと長話をしてしまった。ただの対面販売ではない、幸福の無償贈与のような空気がそこにはあった。令和の今、そうした美しい国の習慣が続いているとはとても思えない。

今わが家では、木のボウルに蒸した餅米を入れ、麺棒で搗いて、正月の雑煮用の白丸餅だけ作っている。ほんとうは、父方の曾祖母の郷里、香川善通寺の習慣である、あん餅の雑煮にしたいのだが、まあこれも二度と口にすることはないだろう。うちのあん餅雑煮は、あんを塩で練るのでまたひと味ちがいます。

餅の意味するところ、昭和後期生まれの私も深く知っているわけではない。その浅い知識すら、時間に流され、遠く過ぎ去って行く。

今年も読んでくださってありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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