青葉繁れる桜井の:小津安二郎の『彼岸花』

小津安二郎監督の代表作と言えば『東京物語』か『麦秋』、玄人好みでは、宮川一夫と組んだ『浮草』や、初期の『東京の合唱』になるのだろうが、私は断然『彼岸花』(1958、松竹)である。初のカラー作品で赤の発色が美しい上、事実上の主演女優が原節子ではなく、田中絹代であるところもうれしい。

だが、一番気に入っているのは、後の『秋日和』や『秋刀魚の味』で繰り返される、初老の男たちの交友のシークエンスである。初中終小料理屋「若松」(甘味処ではなくて)に集まって、高橋とよの女将をからかいながら、ダラダラと飲んでいる。若い頃に見たときには、いつか自分にもそうした時が訪れるのだろう、と思っていた。病気の後飲めなくなって、残念だ。

『彼岸花』では、男たちは愛知県蒲郡の旅館で同窓会を開く。夜半宴も果てた頃、周りにせがまれて、あまり陽の当たらなかった男、笠智衆が楠木正行の辞世の詩吟をうたう。笠が途中でやめると、軽薄な成功者、中村伸郎が唱歌『大楠公』を口ずさみ始め、北竜二や織田正雄 菅原通済、江川宇礼雄、といった男たちが次々と歌い継いでいくという演出である。さらに次の朝、汽車に乗った主人公の佐分利信が淀川の鉄橋を渡っていくとき、再度『大楠公』のメロディが流れてエンドマーク。つまりこの映画の男性の部分を集約する表象が「青葉繁れる桜井の~」なのである。そこに込められた意味は何なのだろう。

明治生まれの、私たちの祖父たちなら皆その意味を明快な言葉で語ることができただろう。しかし、もう私たちにはそれは分からないし、分からなくていいのだ。

1つ面白いのは、同じように明治生まれの祖父を持つ連れ合いの「青葉繁れる」は短調なのだ。本来は長調だが、地域に異伝があったのかもしれない。

写真は皇居前広場にある、高村光雲制作、住友別子銅山による楠木正成像。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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