正義の凡庸さについて

数年前、勤務先の大学で学生の犯罪行為を懲戒処分する仕事に関わったことがあった。学生は罪を認めず、親は逆ギレし、教授会は懲戒の是非をめぐって迷走した。世間の目もあったので辞職を決意した。仕事は何とか終わったが、嫌な気持ちだけが残った。昨日の夕刊に、この犯罪行為が当時摘発のピークだったというグラフが掲載されていた。ということは、おそらく当時その源である犯罪組織がとくに活発だったのだろうし、対する取り締まりもとくに活発だったのだろう。そうした構造的背景の上に学生の犯罪行為(の発覚)は起こったのだ。社会学者の端くれなのに、当時はそこに思い至らず(気づくことはできたはずだ)、ただ学生の犯罪行為に怒り、彼ら自身の破滅を抑止するという正義のために懲戒処分に取り組んだ。ハンナ・アレントは「悪の凡庸さ(バナリティ)」といったが、私のは「正義の凡庸さ」だったかもしれない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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