わがディスタンクシオン:小倉百人一首に寄せて

母の実家は祖母が1男4女の末娘、母が3人姉妹の真ん中なので女の気に満ちていて、年賀のあいさつの後は必ず百人一首カルタになった。もちろん小さい頃は坊主めくりで、カルタは少し大きくなってからだが。高校の国語教師の叔母が解説書をくれたので、一所懸命覚えた。

帰って父方の祖母にその話をすると「うちでもやる」と息巻いたが、残念ながら根づかなかった。一人っ子の家付き娘の祖母がいくら威張っても、中筋は働く男の家なのだった。

このカルタ、中学に入って古文を学ぶようになるとたいへん役に立った。身に染みているというのだろうか。まったく勉強しなくても古文の成績は悪くなかった。有名な橋本武先生の授業の新年の恒例はカルタで、得意な私は読み役を任されたことが小さな自慢である。

十八番(オハコ)は誰もがはじめは「天の原」だろう。私は早くに卒業して、ながく「来ぬ人を」だった。色気づいてくると「由良の門(と)を」、人生に行き詰まった頃は「諸共に」。専修大学や立教大学で「社会史」を教えていたときには、「イエの消長」というテーマで「仮庵(刈穂)の庵」に始まり「古き軒端のしのぶ(忍草)」に終わる一族の悲しみを語った。もっとも村上泰亮理論ならば、それはイエ社会ではなくウジ社会だが。

子どもたちも大きくなって、もうカルタをすることはない。今の私の心の中の十八番は「海(わた)の原漕ぎ出でて見れば久方の雲居にまごう沖つ白浪」である。悪左府頼長の兄、法性寺入道先関白太政大臣藤原忠通の歌。「田子の浦に」と「海の原八十島かけて」を合わせた本歌取り。普通の解説本には「位人臣を極めた者らしいスケールの大きな歌」としか書いていないが、私には死の歌にしか思われない。雲居すなわち極楽浄土を求めても、ただ打ち返す白波のような現世に翻弄されるばかり、という。

こういうのもディスタンクシオンなんでしょうな。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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