武豊火力発電所がなくなった:仕事の合間のちょっとした息抜き

仕事の合間のちょっとした息抜き、私はグーグルアースである。北海道の深い森の中に残る廃線跡をたどったり、国道1号線から旧東海道がどれくらいつかず離れずなのか調べたり、つい仕事の再開を忘れてしまう。今日も。

はじめは日本製鉄東海製鉄所内の線路を見ていた。製鉄所内には標準軌の鉄道が縦横に引かれていて、溶けた鉄を積んだ坩堝のような貨車が溶鉱炉と製鋼工場の間を行き来している。高校生の頃神戸製鋼所に見に行ったら、立ち入り禁止だと叱られた。そりゃそうだ。危険極まりない。

次にJFE知多製造所へと視線を移す(後で知ったがここは溶鉱炉がないので鉄道もない)。そのときちょっとカーソルがズレて武豊港に巨大な更地ができているのに気がついた。何の跡だっけ?すぐにそれが中部電力武豊火力発電所の跡だと気づいた。ええっ、武豊なくなったのか。ものづくり愛知にはデカい火力発電所がいくつもあって、ドライブしているといやがおうでも高い集合煙突が目に入ってくる。知多、武豊、碧南、渥美・・・。その長男格の武豊が。

調べてみると全廃ではなく、木質バイオマスを燃やす新しい発電所に生まれ変わるらしい。そもそも中電ではなくてJERAという会社の所有になっている。東電と中電の合弁会社らしいが何がJERAなのかよう分からん。とにかく、原発は止まったが火力も減らしているというのが新鮮な驚きだった。

とするとあの火力発電所も・・・。というのは関電の海南発電所である。和歌浦に面したこの発電所は試運転で大事故を起こして、当時制御機器の営業で担当していた亡父は家に帰れなくなってしまった。調べてみると案の定もうなかった。同じく父が関わった御坊の方はまだあったけれど。

愛知に戻って、豊橋時代に伊良湖岬にいくときに何度か見た渥美も風前の灯のようである。ウェブ上の写真では巨神兵のような巨大風車に囲まれて古ぼけた姿をさらしている。

色々なことがボーッとしているうちに変わっていく。コミュニティの幇間ではない地域社会学は、こうした変化に何よりも敏感でなければならない。でも研究に意欲を失ってお菓子ばかり焼いている私は、そうなんだよなあ、とぼんやりと考えているだけである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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武豊火力発電所がなくなった:仕事の合間のちょっとした息抜き への1件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    きっかけは東海道新幹線の車窓。製鉄所への引き込み線のある笠寺駅に石灰石の貨車ホキがいて、ああまだ国産品使ってるんだ、というところから。この貨車、美濃赤坂駅から来ます。碧南火力発電所では三岐鉄道東藤原駅の石灰石(正確には炭カル)を使ってますので、このホキも笠寺駅で見かけます。昔は東海道新幹線が伊吹山の麓、在来線近江長岡駅横を通る時にも、石灰石の貨物列車を見かけました。

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