『菊と刀』と『ピープルズ・チョイス』

学部2年生の演習の教材にR.ベネディクトの『菊と刀』を使っている。この本は和辻哲郎を筆頭に何としても否定したがる敵の多い本だが(敵は皆男だ)、読む度に新しく学ぶことが見つかるので、真の古典だと思う。今回気づいたのは、ベネディクトが方法上のライバルとして世論調査を挙げている点である(第1章)。世論調査はアメリカ人が自分を理解するための特殊な方法(エスノメソッド)であって、文化人類学の方法はそれとは異なるというのである。ベネディクトはこのライバルを具体的に想定していたはずで、それはP.ラザースフェルドの『ピープルズ・チョイス』だろう。この対照は本当に面白い。なぜならラザースフェルドは亡命者であり、ベネディクトは生粋のアメリカ人だからである。今回はこの対照をていねいに考えてみたい。ちなみに、3年生の演習の教材はNHK放送文化研究所の『現代日本人の意識構造』で、これはすばらしい研究蓄積にちがいないが、以上の対照を踏まえると、両者の長所を総合したはずなのに、実は両方の長所とも見失ってしまったもののように見えてくる。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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2 Responses to 『菊と刀』と『ピープルズ・チョイス』

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    敵は皆男だと書いたが、女の敵もいる。それは鶴見和子だ。日本語訳が出る前の1947年3月号の『思想』で、「フジヤマ・ゲイシャ」の社会分析版と酷評している。批判の論理が著しく左傾しているところが当時の鶴見をうかがわせて面白いが、これも吉見俊哉のいう「アメリカの越え方」の1つなのだろうか。

  2. 中筋 直哉 のコメント:

    ラザースフェルドへのベネディクトの批判に最初に気づいたのは、もちろん私ではなく、『民族学研究』14(4),1950の、石田英一郎の編集になる『菊と刀』特集で、柳田国男や有賀喜左衛門とともに好意的評価を与えた川島武宜である。川島は「社会学における計量的調査の意義とその限界」(1947)でその点を指摘していた。『菊と刀』の邦訳の刊行は1948年なので、川島は原書(1946)で見たのか、言及の部分だけ、単行本化(『法社会学における法の存在構造』1950)の際に書き加えたのかであろう。不勉強な私は川島論文を読んだことがなく、最近読んではじめて知った。

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