4人目の私の先生

大学ではじめて社会学を教わったのは折原浩先生、卒論と修論の指導教官は蓮見音彦先生、博論の指導教官は似田貝香門先生。しかし、いつでも私は不肖の弟子だった。折原先生に学んだのに大塚久雄が好きになり、蓮見先生に習ったのに農村研究は(やってみたものの)身につかず、似田貝先生に懇請されたのに災害研究をやらず、で何かオリジナルなことをやったのかと問われれば、すきま風が吹き抜けていくような感じだ。実は私が4人目の先生と勝手に思っている方がいる。それは故北川隆吉先生である。北川先生には、専修大学に非常勤講師に通っていた頃、はじめてお目にかかった。ある日講師室で昼食をとっていると、突然横に腰掛けられ、「古島(敏雄)さんがね」といわれた。「古島さんが、『俺は福武(直)の本なんか読んだことがない』と一緒に入った風呂で言ったんだ」。これこそ北川マジックである。私は一瞬でノックアウトされた。それから3年間ほど色々なかたちで指導していただいたが(東大出版会の『講座』に書かせてもらえたのも、先生のご厚意であったろう)、事情があってその後ご無沙汰してしまっていた。亡くなられたのを知ったのはつい最近である。北川先生の場合も、やはり私は不肖の弟子だった。フェビアン協会の研究をやれと言われてB.ウェッブの『私の修業時代』を貸してくださったのに、いまだ着手していない。今は自分の菲才を恥じつつ、ただご冥福を祈るのみである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 4人目の私の先生

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    たぶん先生は、S.ナサーの『大いなる探求』のB.ウェッブの章のようなことを学んでほしかったのだろう。C.ブース(社会調査)のもとで世間を知り、H.スペンサー(社会学)とW.チャーチル(政治、政治学ではない)の間で考えていくウェッブ。でも、私はたぶんH.G.ウェルズがそうであったように、彼女に魅せられることはないだろう。ナサーも、後の章で出てくるJ.ロビンソン同様、高くは買っていないように思う。この点、私の中では前に書いた社会政策への嫌悪感とつながっている。

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