「明治の五十銭銀貨」再読

イギリスがEUから離脱するという。授業で「ポストウェストファリア体制」とか言っている身としてはちょっと困る。しかし、もっと困るのは、国内のニュースがわが国に対する経済的影響ばかりを語ることだ。出てくるのも経済評論家ばかりだ。もともとEUが安全保障から始まったことを考えれば、またロシアや中国の近年の動向を見れば(上海機構?)、第一に語られるべきは国際安全保障の問題ではないか。そんなことを考えていると、昔書いた小文のことを思い出した。内輪向けの記念誌に掲載されたので、ほとんど誰の目にも触れていないだろう。わずかにOBの高橋彦博先生が取り上げてくださったくらいだ。そこで、版権の問題があるかもしれないが、ちょっと掲載しておきたい。今読むと、ああこの頃デリダを読み始めたのだなと、懐かしくなる。

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周年念記念事業の意義とは何か? 集合的記憶の創造? 敗戦後50年である1995年前後からだろうか、私は様々な周年記念事業に出会ってきた。なかには戦後処理の一環として全国一律に実施された制度改革の周年記念事業などもあって、なかなかその意義が分かりにくかった。もちろんこちら側としては、機に乗じて他人に認められるような働きをしたいとは思う。しかしそうした都合のいい理屈をのぞけば、やはり私には積極的な意義を見出すことは難しかった。そもそも、それは本当に私たちが記念すべき何十年であったのか?

けれども、実際に何度か事業に参加してみて、少なくとも次のことにだけは意義があったように思われる。それは、事業の間に周年の歴史上の誰かと新たに出会い、「読むこと」を通して対話することである。日頃忘れ尽くされ、通史の隅に押し込まれてしまったような誰かと、周年記念事業の間だけ、まるで盆祭の闇の中ですれ違う祖霊たちとのそれのように、交歓し、彼らの語ることを聴くのである。そして大切なのは、事業が終われば、再び彼らに永い訣れを告げることである。

さて、この度の事業の間に私が出会ってみようと思った誰かとは、服部之總である。服部は戦間期から敗戦後にかけて活躍した日本史家で、草創期の本学部の教授でもあった。不勉強な私が服部の名を知ったのは同学の先輩玉野和志氏のご教示による。その後いくつかの仕事で彼の仕事を多少学ぶ機会を得た(川合隆男ほか編,1998,『近代日本社会学者小伝』「服部之總」の項、拙稿,1998,「磯村都市社会学の揺籃」『日本都市社会学会年報』16)。

『社会労働研究』の創刊号(1954)を繙いてみると、研究余滴として「明治の五十銭銀貨」というエッセーが掲載されている。これは岩波文庫の『黒船前後・志士と経済』にも収録されている。概略を記すと、明治初期に新造された五十銭銀貨の「堂々たる」形状の話をマクラに、幕末維新期の国際経済関係のなかでの日本経済の困難で微妙な位置が描き出されている。メキシコドル銀貨に替わられることなく国内流通に乗った新銀貨は、幕末開港以来の英・米の経済力による植民地化の攻勢に対して、日本経済が辛うじて首の皮一枚で生き延びたことの象徴なのである。また服部は、伊藤や大隈ら経済官僚?たちの右往左往ぶりもユーモラスに描き出す。総じて当節流行の格好の良い「国民の歴史」とは似ても似つかぬ、愚かで、しかししたたかな歴史が描き出されているのである。一言でいえば、「生き延びる歴史」とでもいえようか。

服部の意図は次の点にあったのだろう。第1に、明治以降対米敗戦に至る近代日本史の「構造」はすでに幕末維新期に画定されていたこと。つまり私たちの祖先は、「坂」の手前からすでに「雲」のなかを歩んでいたのである。第2に、近代日本経済が英米対立の間隙をぬうようにして「主体」化したのと同様に、戦後日本経済が米ソ対立の間隙をぬって「主体」化しようとしていること。つまり昨日の伊藤・大隈は今日の吉田・鳩山なのである。

こうした服部の説が今日の経済史の高度な実証水準にも耐えられるかどうか、私には分からない。しかし、深刻な不況から「第二の敗戦」とまで噂される今日の社会情勢をみると、「第一の敗戦」=「第二の開国」に対する服部の考え方には教えられる点が少なくないように思われる。それは断じて「ハッタリ史学」ではない。

私には、服部の示唆することとはE.サイードのいうオリエンタリズムの、この国における存在形態であるように思われるのである。つまり経済こそが、オリエントたる私たちの精神にオリエンタリズムが作用していく第一の「場」(P.ブルデュー)となっているということである。とすれば「第二の敗戦」を「第一の敗戦」や「第一の開国」と同じように生き延びてしまっては、私たちは再びこのコロニアルな構造から脱出できなくなってしまうのではないだろうか。それでは、私たちの思想的課題とは何か? それは、経済を、実際の経済活動から種々の経済評論、経済学も含めて、すべて「脱構築」(J.デリダ)していくことではないだろうか。様々な非営利的市民活動および社会学の現代的意義もそこに懸かっているように思われる。

この地点に至ったところで、私は「日本史」家、服部之總に訣れを告げようと思う。

(2002,『法政大学社会学部50年史』所収)

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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