朝河貫一『入来文書』の親しさ

前に記した通り、学部2年生のゼミでR.ベネディクトの『菊と刀』を越智敏之・越智道雄訳で読んでいる。今気になっているのは、ベネディクトのデータだ。色々なレベルのデータを使っているが、とくに朝河貫一の”The Documents of Iriki”(1929)を使っていることが気になって、矢吹晋の訳書を図書館で借りてきた。これには当時のM.ブロックやO.ヒンツェの書評が添付されていて驚かされる(E.R.アヴォンドの書評の訳者は、尊敬する同学の新原道信氏)。中身もすごく自然で面白く、またなぜ日本の大学の「国史」の世界から無視されてきたかについての、矢吹氏の解説も納得させられた(その悪の張本人の永原慶二は好きなのだが・・・)。読んでいて、ふと思い出されたのは、私の母方の曾祖父のことである。私の曾祖父は舘残翁(本名八平)という石川県出身の郷土史家で、朝河と同世代である。早稲田大学を出てイェール大学の教授にまでなった朝河とは月とスッポンで、曾祖父は一介の地元郷土史家に過ぎなかった。ただ中世から近世の郷土史を編年体で追ったこと、そこに辺境+後発ナショナリズムに毒された歴史理論(講座派)を持ち込まなかったこと、東大史料編纂所と関わりがあったことが、似ていると言えば似ているくらいだ。私の家には、史料編纂所の辻善之助教授ができた人で、高等小学校しか出ていない曾祖父を自由に出入りさせてくれたという話が伝わっている。ちょっと飛躍しすぎだけれど、近代日本人の、大学で講じられない歴史感覚ということについて、考えてみたく思った。ちなみに曾祖父のことは、森岡清志編『地域の社会学』所収の「地域が歴史を創り出す 歴史が地域を造り出す」でも言及した。彼は加賀一向一揆と富樫氏の関係や金沢近郊の大乗寺や伝燈寺の寺史を書き、遺作『加賀史料集成』は石川県の事業である『加能史料』の原型となっている。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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