「できないことはできない」という

現在の勤務校に勤めはじめた頃、同窓会から会報に寄稿を依頼されたことがある。当たり障りのないことを書いて提出したつもりだったが、刷り上がりを見て驚いた。何の脈絡もなく、私の言葉ではない「私は学生を愛しています」という一文が文末に書き加えられていたのだ。私が驚いたのは、いくら若造でも母校の教師の文章に勝手に手を加えて恥ずかしいと思わない傲慢さにではない。確かに私の文章は「学生を愛している」と字面にも書いていないし、意味上も言っていなかったので、その批判の的確さに驚いたのである。私はそのねつ造を見たとき、「ああ、この職場では学生を愛することを仕事にしなければならないんだな」と思い、それからそうしようと努めてきた。学生担当の管理職になり、学内で集団で大麻を吸った学生や、集団でカンニングした学生と対面しても、「愛さなきゃな」と思った。それから十有余年、しみじみ「無理をしたな」と思う。もともと学生を愛せるなら、小学校や中学校の先生になればいいのであって、それはとてもできないので、教職免許も取得しなかったのだ。愛しているのは勉強であって、学生ではない。考えることであって、教えることではない。できないことはできないというべきだった。その方が学生に対しても職場に対しても誠実だと思う。あらためて「私は一生懸命務めますが、学生も職場も愛せません」と言おう。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 「できないことはできない」という

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    今日の職場の会議でも学生への愛が炸裂していて、吐きそうになった。ロシュフコーの『箴言集』にいわく、「不実な友を持つよりも、誠実な敵を持て」。少なくとも学生に対しては、誠実な敵でありたい。

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