先行研究の取り扱い方:ことばの典礼に学ぶ

学生を指導するとき、なぜ先行研究を取り上げなければならないか、どのように取り上げるべきか、説明するのに苦労することがある。私が学生だった頃と違って、今の大学では権威主義はまったく通用しないので(それはそれでいいことだが)、「見ていて覚えた」なんて期待できるはずもなく、ていねいに合理的(功利的)に説明しなければならない。でも、教えるこちらも本当のところはよく分かっていないのかもしれない。突き詰めて考えずに、権威主義的あるいは伝統的行為としてやっているだけかもしれない。そんなことを考えていると、1つひらめいた。故あってときどきカトリックのミサに出ることがあるのだが、ミサの「ことばの典礼」こそ、まさに先行研究の取り扱い方のお手本ではないか。「ことばの典礼」では、まず旧約聖書の一節が信徒によって朗読される。対する会衆は同じ旧約聖書中の「詩篇」を歌って応える。次にパウロ書簡が、これも信徒によって朗読される。アレルヤ唱を経て、最後の朗読は司祭による福音書である。どうしてこうした形式に完成されたか、経緯はよく知らない(調べなければ・・・)。でも、3つ(「詩篇」を加えれば4つ)の、時空間の異なる正典を交響させることを通して、原初と現代、構造と主体とを結び合わせる「作劇術」には驚かされる。学生が理解するかどうかは分からないが、もう少しこの「作劇術」を学んでみようと思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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