それは社会学じゃないよ:『断片的なものの社会学』を読む

すごく宣伝されているので、岸政彦『断片的なものの社会学』を読んだ。この人の本を読むのは『街の人生』に次いで2冊目だ。前作はちょっとこちらの期待と違っていて残念だったが、今作は評判に違わず、色々考えさせられるよい本だと思った。著者とはまったく面識がないが、たぶん同世代なので、その意味でも納得できることが少なくなかった。ただ、「断片的なもの」への愛着については違和感がなかったが、「社会学」というところには違和感が残った。終盤に近いところで、唐突に(しかし、たぶん計算づくで)デュルケムが出てくる(1行で引っ込む)。ジンメルでもゴフマンでもなくデュルケムというところが計算というか、批判的精神を感じさせるのだが、その批判があまり納得できない。デュルケムの核心を外し、その結果社会学の核心を外しているように思われるのだ。つまり社会学の本丸であるはずの、マジョリティの日常世界の周りをぐるぐる回っているだけのように思われるのだ。私が学んだ社会学研究室の主任教授だった富永健一先生の口癖は「それは社会学じゃないよ」だった(実際に何度耳にしたか記憶が定かではないが・・・)。富永先生は窮屈な先生だったし、当時の私はずいぶん反発を感じたが、この本を読んでいると、その富永先生の口癖が思い出されてくる。この本を学生に薦めるときは、この点をよく考え、伝えられようになってからにしよう。ちなみに、著者はまったく触れておらず、参照しなかったと思われるが、私(たち)の学生時代には『小さなものの諸形態』(市村弘正,1994)という、よい本があった。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to それは社会学じゃないよ:『断片的なものの社会学』を読む

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    富永先生は、卒業式で私たちに「社会学を愛してください」と言われた。大学院の入試で、「君は都市社会学を学ぶのだから鈴木栄太郎をていねいに読みなさい」と諭された(実際には、蓮見音彦先生の3年生のゼミでは、有賀喜左衛門ではなく鈴木栄太郎を読んでいたので、ただ私が不真面目だったのだ。もっとも因果なもので、『現代社会学事典』(弘文堂)の鈴木栄太郎の項は私が書いている)。その後、私はなぜか博士論文で富永社会学を批判するのに一章を割いてしまった。さらに後、学会で富永先生にお会いしたとき、富永先生は「君は僕とは違う方向に進んだけれど・・・」と話しかけてくださった。私は感動して、思わず「よいものだけが生き残っていくのです」と申し上げた。ちなみに、同業者で富永先生の授業を受けたことのある連れ合いは、「あなたがもし偉い先生になっていたら、富永先生のようになっていたかもね」という。

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