奇妙な気持ちの中身

震災以降、先に記した「奇妙な気持ち」が消えないどころか、だんだん募ってきて、少し深刻な感じだ。とくに16年前の細かなわだかまりが1つ1つ思い出されて、そのたびに気持ちが沈んでいく。神戸の地震は、たまたま新婚生活の始まりの春、初めて教壇に立つ春の直前のことだった。そうした生活の激変が地震後のいろいろなトラブルと重なったのに、無理矢理心の底に押し込めてしまっていたのかもしれない。今はとくに生活に激変があるわけではないのだけれど。と、考えていて、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』の佐八の挿話を思い出した。原作(たしか火事)で読んでも、黒澤明の映画(激しく風鈴が鳴る!)で見ても、その意味が今ひとつよく分からなかったが、今ようやく少しだけ分かるような気がする。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 奇妙な気持ちの中身

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    思い出した。98年に『10+1』12号に「東京論の断層」という文章を書いた。そこに「奇妙な気持ち」への最初の反省的認識が記されている。ただし、これを書いた当座は、家庭の事情で都落ちする悲しみの方に囚われていて、あまり主題化できていなかった。

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