「誠実な敵」坂部恵先生の思い出

先に学生に対して「誠実な敵」でありたいと書いた。今日は、私の学生時代の「誠実な敵」の思い出を書きたい。学生時代私は文学部学生自治会で活動していた(今あるのかしら・・・)。公認団体だったので、年数回、学部教授会との面談を行っていた。私たちは「第二委員会交渉」と呼んでいたが、教授会側は交渉ではなく懇談と位置づけていたと思う。私たちの敵手は哲学科の坂部恵教授と国史学科の吉田伸之助教授(当時)だった。こちらの要求に対して、おそらく自分も自治会経験があっただろう吉田先生は、「その要求の仕方はよくない」といった先輩モードだったが、坂部先生は、ていねいに私たちの話を聞いた上で、ひとつひとつ論理的に批判し、すべて拒否するという姿勢を貫かれた。敵なのに、交渉が終わった後私たちはいつも感嘆のため息をついた。何よりそれは、坂部先生が私たちを対等な議論の相手として扱ってくださったからだ。授業の準備などでカントを読むとき、私はいつもあのときの坂部先生の謹厳な面立ちを思い出す。一度も授業に出たことはなかったが、かけがえのない教育をしてくださったと思う。

もっとも、私が役員を退いた後で聞いた話では、坂部先生の後任はインド史の辛島昇先生で、辛島先生は、こちらの提案がいいと「それはいいから教授会に持ち帰ろう」とつい言われてしまい、こちらの方が大丈夫ですかと心配するくらいだったそうだ。これもまた1つの誠実さだと思う。

ついでに、たった10ヶ月しか勤めなかった、助手時代の助手組合の交渉の思い出も書こう(これは教授会側も交渉と呼んでいたと思う。ところでこれも今あるのかしら・・・)助手を半減させるという学部長の提案に反対して、私は「将校=教授が多くて兵隊=助手が少ないなんて、組織としてはいびつではないですか」と追及した。当時の学部長、考古学の藤本強先生は、「俺は外で土ばっかりいじっているから、君のような頭のいい奴の話は分からん」と言われた。今省みると、私は「俺は頭がいいんだぞ」といった思い上がった顔をしていたに違いない。連れ合いは、「あの頃のあなたは、飛ぶ鳥を落としていたものね」と笑う。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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