修業時代の解けない謎:馬場修一先生の思い出

盆前のせいか、かつて出合った死者たちのことが色々と思い出される。坂部恵先生のことを「一度も授業に出たことはないが、かけがえのないことを教えてくださった」と書いたが、馬場修一先生もそうした先生の1人である。大学院の面接試験の時、私は富永健一先生から「鈴木栄太郎をちゃんと勉強していない」ととっちめられてダウン寸前だった。指導教官の蓮見音彦先生がみかねて、「これからどんな研究をしていきたいですか」と助け舟を出された。私は「卒論では都市を対象にしたが、大学院では農村も勉強したい」と答えた。半分は正直なところ、半分は意欲を見せて格好をつけたくての回答だった。ところが、それまで黙っていた馬場修一先生が突然大声で「都市もちゃんとできていないのに、農村をできるわけないだろう」と叱責された。私はもちろんのこと、先生方も虚を突かれたように沈黙された。その後のことはよく覚えていない。池袋のホテルで、仕事で上京してきた父と夕食をともにする約束があったので、終了後そのホテルのロビーで休んでいたが、ほとんど気を失っていた。不思議なことに、見知らぬ外国人の子どもが口に含んだ水を私の顔に吹きかけて、私は我に返った。

大学院入学後、次は馬場先生に「少しは都市のことを勉強したね」といわれたいと思って勉強に取り組んだ。テーマを群衆に決めたので、たぶん修論は副査として馬場先生に見てもらえるのではないかとも思った。でもやはり気後れして、ゼミには参加しなかった。そのうち馬場先生は体調を崩され、亡くなられた。学部時代も習っていないので、結局一回叱られただけで終わったということになる。ゼミに出ていた連れ合いに言わせると、非常に温厚な方だったそうである。なおさら、なぜあんなに怒られたのか分からない。いまだに解けない謎である。

でも、きっとそれは私の基底に突き刺された槍のようなものである。ながい学びの果てに、いつか自ずと抜ける日が来るかもしれない。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 尊敬する先輩たち, 私の心情と論理 パーマリンク

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