座り込む2人の社会学者:1枚の報道写真から

NHKのETV特集が日高六郎を2回特集していたことがある。面白いと言うべきか面白くないと言うべきか微妙な企画だったが、1つ印象に残ったことがある。それはチッソ本社前で日高が座り込んでいる写真だ。大柄でのっぺりとした表情の日高の後ろに、やや小柄で動物的な表情の男が写っている。私の修論の副査だった見田宗介先生だ。2人とも緊張した表情だが、その緊張の感じがまったく違って見える。もちろん写真は一瞬の切り取りなので、動画のように緊張させる状況の「積分」された全体を捉えるわけではない。しかし、もしそれが「微分」ならば、緊張感の方向性とか傾きといったものを切り取るはずだ。私には日高の表情は相手を知った上でのおそれのように見え、見田先生のそれは相手を探す好奇心のように見えた。知っているということは囚われているということであり、探しているということは魅せられているということだろう。報道写真はこうして私の社会学精神を刺激する。

かつて「社会運動の戦後的位相」(矢澤修次郎編『講座社会学15 社会運動』東京大学出版会)という論文で、社会学者日高六郎の出発点について考えた。私は大学院1年生の時、福武直の葬儀の手伝いに動員された。受付に座ると、戦後日本の社会学の大親分の葬儀だけに、たくさんの社会学者が睦み合うのが見られた。そのとき、たった一人で来たり、たった一人で去ったように見えた参列者が二人だけいた。一人は当時の厚相小泉純一郎であり、もう一人が日高六郎である。終わった後、小親分の一人の高橋徹名誉教授に呼び集められながら(その後お茶を奢ってくださった)、私は、ひとり去って行く日高の寂しげな後ろ姿を眺めていた。故人とほんとうに仲がよかったのだなと思った。その時からいつか日高六郎について書いてみたいと思ってきた。編集会議で日高について書きたいと言ったとき、先輩の長谷川公一先生は無意味だと批判された。私は長谷川先生の率直な批判がうれしかったが(編集会議の中心はこれまた小親分の一人の北川隆吉先生であり、北川先生は日高と親しかったから、明らかに私が北川先生に阿っているように見えたはずだ)、日高について書くことにこだわった。この論文は、長谷川先生の予見通り、まったく評価されなかった。私は日高自身から評価を聞いてみたいと思った。日高の一番弟子を自認される同僚の田中義久先生に頼んでみたが、無理だと断られた。やがて黒川創『日高六郎 95歳のポルトレ』という本を読んで、日高自身の評価を聞けたような気がした。この本のインタビューで、日高は自分は社会学者ではなく、福武と書いた『社会学』(1952年)は「青春の恥」であり、「ちょっと仲のよかった」福武に代表される日本の社会学はまったく評価できないと言っている。一方で、ずっと関わってきた社会運動団体「国民文化会議」の2001年の解散への愛惜を語っている。色々な次元で納得できる見解だった。もう話を聞かなくてもいいなと思った。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 座り込む2人の社会学者:1枚の報道写真から

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    日高は、日本というか東大の社会学を戦前戸田貞三、戦後福武直で代表させている。なぜか、一番身近な上司だったはずの尾高邦雄については触れていない。また戦前の社会学の恥部を高田保馬で代表させている(私の高田保馬観は、森嶋通夫の描くそれだ)。また「共産党系」の北川隆吉が旧態依然たる社会学会の改革の際日高を頼ったと書いている(北川先生は、私には有賀喜左衛門のおかげだと言われていた)。

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