墓場まで持っていかない話1:甲子園球場での思い出

このブログでちょくちょく話題にする大学内での学生の大麻吸引事件のなかで、印象に残っている挿話の1つにこんなことがあった。首謀者(要するにバイニンですね)の学生の父親から大学総長宛てに手紙が来て、そこに「このことは私と息子がわが家の墓まで持っていくつもりだ(真実を話す気はない)」と記してあった。父親は教職と聞いていたので(他山の石とせよ!)、その時代錯誤で自己中心的な物言いに失笑し、怒りを覚えたが、省みれば「墓まで持っていく」という観念形式は、けっこう私たちの頭の中に巣喰っていて、私たちがコミュニケーション的合理性にもとづいて自由な社会を創り出すことを妨げているのかもしれない。またそうした墓のような集合表象に支えられた集団としての家族を、支配と拘束の場に堕落させているかもしれない(神島二郎のいう「醜態の共有」)。そこで、そうした堕落から自由になるために、今後ちょくちょく「墓場まで持っていかない話」をしていこうと思う。

第1弾は高校野球の話。ちょうど今年の夏の高校野球のベスト4校を見て思い出したのだが、私が高校の生徒会長を務めていたとき、ある高校から我が校に姉妹校の要請があったことがある。向こうは田舎の新設校で、こちらは悪名(かなり高い?)も含めて都会の名門校なので、何でこの話が通ったのかよく分からなかったが、とにかく職員室ではそう決めたらしく、先方が夏の甲子園に出るので、我が校からも応援に行ってほしいと教頭が私に依頼してきた。今考えればそんなあやしい話即断ればよかったのだが、私の本当にダメな性格から、苦慮した挙げ句引き受けてしまった。そして私は校内放送で広告し、当日は甲子園球場のアルプス席の入口に立って応援団用の入場券を我が校の学生たちに配った。当然のことながらあまり学生は集まらなかった。もっとも、何ごとも体験してみるもので、そうして立っていると、ダフ屋の小父さんたちが入場券を安く買うと声をかけてきて、世間知らずの私はダフ屋という仕事をはじめて目にすることができた。さて、次にその高校が甲子園に来たときにどうしたのか、今も姉妹校なのかどうか、私は知らないし、知りたいとも思わない。大学生になってから、友人たちがあの姉妹校協定は教頭をはじめ何人かの教員への(性的なものも含めた)賄賂によるもので、関係した教員は早期退職に追い込まれたと噂しているのを聞いたが、何か悪事の片棒を担いだような気がして(たしかに少し担いではいる)、なるべくその話題に首を突っ込まないようにした。だから真相は知らない。しかし、私の性格がダメなのは認めるとしても、また賄賂があってもなくても、ひどい話だったと思う。明らかに私は社会的な悪の被害者で、だから少なくともそれを悪と指弾する権利を有していると思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 墓場まで持っていかない話1:甲子園球場での思い出

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    こちらはちょっといい話。同じ夏の甲子園、わが校の野球部を応援に行こうと思い、生徒議会議長(今は自治医大の偉いお医者さん)に相談したら賛同してくれ、一緒に神戸の西代の野球場に応援に行った。たしか1回戦は勝ち、2回戦まで行ったと思う。

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