ちょっとぼやけた「神戸っ子」:扇の港より1

NHKBS1の「世界ふれあい街歩き」が故郷神戸を取り上げていた。番組のなかでインド系の仕立屋さんが「神戸に生まれ、神戸で育った、神戸っ子です」と自己紹介していた。「神戸っ子」という表現は、震災前、私が子どもの頃からあったと思う。私のイメージは小学生の進学塾時代の友人がそうで、実家の店が元町の眼鏡店、自宅が青谷にあって、リビングとダイニングが続き間の洋館といった感じだ。あるいは人でいうと淀川長治とか花森安治とか妹尾河童といった人たち。あるいは陳舜臣の『神戸わがふるさと』が回顧する乾いた空気のようなもの。

今書いてみると、そこには少しずれた2つの焦点があるように思われる。神戸市の市章は「カウベ」の「カ」の字と2つの扇を意匠化したもので、2つの扇は2つの港、すなわち江戸以前の兵庫津と明治以降の神戸港を表しているのだが、それに通じて、神戸駅より東へ三宮までの神戸と、神戸駅より西へ湊川公園までの兵庫では微妙にちがうような気がする。私の友人や陳舜臣の世界は東側で淀川、花森、妹尾の世界は西側。ユーハイムのクランツは東側でイカナゴのくぎ煮は西側。一中、神戸高校(父の母校、越境入学した)は東側で三中、長田高校(叔父の母校)は西側。私はといえば、一応西側だけれども和田岬の工場街生まれで、一応東側だけれども旧外大前(市バスの東の端)の大規模マンション育ち。東西どちらの垢抜けた感じもなく、学校も歴史の浅い灘高なので、ちょっとぼやけた「神戸っ子」だ。

ちょうど結婚直前に震災があり、前にも書いたように、その後仕事の面でも家庭の面でも故郷に素直に甘えられないようなことになってしまった。今更甘えようというのではないが、自分を起源を遡るという意味で、これから幾度かこの「扇の港」について書いていきたい。

番組のナレーションは古田新太で、彼が同郷で、私より1つ年長とはじめて知った。私は全然縁がなかったが(上京直後に野田秀樹が2階に下宿していたというカレー屋に連れて行ってもらったが、野田秀樹を知らなかった!)、あのバブルの時代、小劇場に生きるのは1つの輝ける道だったのだろうと思う。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 扇の港より, 私の心情と論理 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください