病気を遡る1:墓場まで持っていかない話4

前便に「会いたくない同僚」と書いたが、栗を剝きながら少しそのことを思い出していた。その同僚というのは私が学部の教務担当の管理職を務めていたときの学部長で、今はもっと偉い仕事に就いている。任期が終わる直前、彼女はかなり厄介な仕事を内々に私に命じた。それは彼女の将来の成功に関わるように思われたので、かなりの犠牲を払ってその仕事を仕上げた。同じ頃、任期が終わるので事務方の慰労会をしたいと彼女に言われ、私はそのセッティングをした。加えて次の執行部を招きたいと言うので、私はとくに反対せず、宴会の人数を増やした。省みれば、ここで「事務方の慰労会なんだから、それはヘンですよ」と言っておけばよかった。宴会自体はまあ楽しい会になったと思う。

さて、私たちの任期が終わり、次の執行部が起動するや、私の仕事は彼らの槍玉に挙げられた。大学と学部の将来を考えて自分なりに苦心した案を、学部への裏切り行為のように誹られた。彼らの1人から、なぜそんな馬鹿な仕事をしたのかと問われ、そう命じられたからと答えると、お前には主体性がないのかと面罵された。しかし彼は、命じた彼女の悪口はひと言も言わなかった。それはそうだ。彼女は女王様だからね。実際にはこれだけが理由ではなく、他にも病気を悪化させる理由がいくつかあったが、これが絶望に追い込む大きな原因だったことは確かである。

しかし、本当に傷ついたのはそのこと以上に、任期が終わった後恒例となっている前執行部の慰労会が開催されなかったことだ。前に学生問題担当の管理職を務めたときは、慰労会が1つの気持ちの区切りとなった。実際にはその会の後、例の大麻事件はこじれ、私は辞職を決意したのだが。私は夏休みくらいまでずっと待っていた。もし新執行部がダメでも、彼女が慰労会を開いてくれるのではないかと期待していた。しかし、彼女からは何の連絡もなく(いつかお礼したいといった形式的なメールはもらったが)、新執行部は他の仕事の引継についても私を非難するばかりで、慰労会のイの字も口にしなかった。「お前ら、3月の時はもらい酒飲んで騒いでいただろう、なのに何だ」といえればよかったが、もう私は何も言えなくなっていた。私の精神状態は坂を転げ落ちるように悪くなっていき、とうとう連れ合いから精神科を受診した方がいいと言われるようになってしまった。

以上は当時職場のハラスメント相談室に「相談」として伝えたことなのだが、その時うまく伝えられなかったのは、当時の私にとって「慰労」されることが何より大事で、その責任は新執行部にではなく彼女にあったということだった。だから今も彼女の顔をできれば(大学のHPを見れば嫌でも見ることになるが)見たくないのだ。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 病気を遡る1:墓場まで持っていかない話4

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    職場にハラスメント相談室があることはたいへんよいことで、私の場合もカウンセラーはていねいに対応してくださった。しかし、自分が執行部の時には真面目に考えてこなかったが(それは許されない怠慢だ)、ハラスメント相談室の運営に各学部執行部が委員として関わっていることは致命的な誤りだ。執行部もハラスメントの原因になり得るという発想が制度設計にないのだ。逆にいうと、ハラスメントをしたい輩は、執行部になればし放題ということである。文科省の事実上の強制で執行部専横が推奨される今の大学では、逆にそれをどう制限するかという視点からの制度設計が不可欠だ。

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