電話は受けるが会いはしない:岡田一郎『革新自治体』を読む

岡田一郎『革新自治体』(2016,中公新書)を読む。一番の驚きは「あとがき」で、著者の父親は機動隊分隊長として、著者が4歳のときに成田闘争の過激派に殺されたという。浅間山荘事件はまだ時折回想されるが、成田闘争はほとんど回想されない。そのなかで、ある意味での当事者が事件の構造(直接的原因ではなくても)を探究しようとしていることは、学問の可能性という点も含め、色々考えさせられる。

さて、この本でも私が面白いと思ったのは実に些細なことだ。旧日本社会党の機関誌『社会新報』の記者が政治学者松下圭一を回想して、「ある時期以降の松下先生は電話すると話してくれるが、決して会ってはくれなかった」と言っているところである。松下自身の回想録(『現代政治*発想と回想』)を読んだときにも感じたが、松下には独特の動物的身体感覚とでもいうべきものがあったようだ。少なくとも私にはそうした感覚がないので、面白く感じる。このブログでおなじみの北川隆吉先生も、「俺が学生部長になったとき(北川先生はまだ40歳だったはず、あの大学紛争の時代に信じられない・・・)、あの松下がそっと『がんばってくれ』と励ましてくれた」と自慢されていた。「そっと励ました」というところが(そしてそれを相手に誇らしく思わせるところが)、やはり身体感覚なのである。

非常に勉強になる本ではあるが、ひとつだけ不満をいうと、まさに故道場親信氏のいう「同時代史」的な意味での日本のマルクス主義のリアリティが今ひとつ伝わってこない。昔著者と同世代の後輩が戦前期の社会運動に関する論文の原稿に意見を求めてきたとき、講座派と労農派の位置づけや治安維持法による弾圧の展開についてほとんどミソクソ一緒なので閉口し、師匠の似田貝香門先生に相談したら、「君たちの世代が分からないのはもう仕方がないよ」としみじみ話されたことを思い出す。ちなみに似田貝先生は安東仁兵衛に親しく指導してもらったことがあったそうだ。しかし、この点はやはり勘どころなので、自分の宿題としてもう少し考えてみたい。

たとえば北川先生は、「君の師匠の蓮見君は、俺と立場がちがうけれど、頼めば日教組の勉強会にも来てくれた(だから、お前も研究室から出てこい)」とおっしゃっていた。逆に蓮見先生は「北川さんと僕らの付き合いは、君には話しても分からないだろう」と言われていた。そうした身体感覚こそ、日本の社会運動の血肉だったのではないか。

思い出しついでに書いておくと、河村望・蓮見音彦「近代日本における村落構造の展開過程」『思想』407、408(1958)は戦後の日本農村社会学史に残る傑作だと思うが、読んでみると明らかに前半は河村先生の講座派的な文章とアイデアで、後半は蓮見先生の労農派的な文章とアイデアで、両者は折り合っていない。北川先生によれば、「あの論文が発表されたとき、さっそく有賀(喜左衛門)さんが(たぶん東大の助手室に)電話をかけてきて、『ああいうものを若い人に書かせてはいかん』と叱られた」そうである(これも「書かせた」というところが北川先生の自慢)。

似田貝先生に言わせると、「蓮見さんと同じで君も労農派(色々格好のいいことをいうが何もしない)」だそうなので、考えるときとくにこの「労農派」というところに、こだわっていきたい。その意味でも『革新自治体』は味読再読したい本である。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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