バカ田大学化断固反対:朝日新聞の書評欄から

昨日の朝日朝刊の書評欄で、『バカ田大学講義録』という新刊書の書評を武田徹という評論家が書いていて、そこに「創造に繋がる愚かさをいかに育てるか、つまり大学は今やバカ田大学を目指すべきなのだ。そんなアイロニーの含意を理解できないお利口さんに担われている限り、日本の教育は未来の才能を殺し続けるのだろう」と書いてあった。

私は大学の「バカ田大学化」に断固反対である。理由は、私のようなお利口さんが職を失う(「うちの父ちゃんの給料ばなくなる・・・」石牟礼道子『苦海浄土』より)、からではない。理由は2つ、まず第1に、仮に愚かさに寛容である余地はあっても、基本的に大学が担うのは、お利口さんが生み出す組織化された知識である。アインシュタインは鉛筆一本で相対性理論を生み出したかもしれないが、アインスタニウムはG.シーボーグが鉛筆一本で合成したわけではない(そんなもの生み出さなくてもいいという「バカ田」的批判はあり得るが)。第2に、「創造に繋がる愚かさ」を組織的に育てられるとは思えない。それはたぶん組織からの迫害や強者の支配に抗して、やむにやまれずに浸み出してくるようなものではないか。アル中の父親に殴られながら練習したから、ベートーヴェンは32曲の「創造的な」ピアノソナタを「愚かに」書き続けたのではないか。

第二次世界大戦前の「平賀粛学」といい、全共闘世代の「大学解体」といい、大学に文句をつけたがる輩は基本的にファシストだと思う。逆にどんなに腐りきっても、大学が大学である最低条件は、それが知識で繋がる社会である以上、条件なしに自由で非暴力的であることだと思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

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