歪んだ利他主義の精神分析:職場の会議を終えて

今日の職場の会議で、社会調査士という資格を出す制度を続けるかどうかが議論になった。この資格、できて10年以上になるが社会学者の世界以外ではほとんど知られていない。最初に知られていなかったのは仕方がないが、その後だんだん浸透しているとも思えない。国家資格になるという話も、運営に関与する学会が増えたという話も聞かない。職場では労多くして益少ないと評判が悪い。このまま行くと、やめましょうとなるかもしれない。他の大学はどうなのだろう。皆嬉々として関与しているのだろうか。

わが職場にこの制度の導入を働きかけたのは、実は私である。1つには始まったばかりの社会人大学院の目玉にしたいという理由、もう1つには当時今ひとつに思われたわが職場の、日本の社会学教育研究界におけるプレゼンスを高めたいという理由からだった。珍しく故舩橋晴俊先生が乗ってくれて、異論を押し切って導入することができた。しかし、その後今日まで、やってよかったねという評価が聞かれることはなかった。そんな皆に愛されない制度を、私はどうして持ち込んでしまったのだろう。会議の後、しみじみ考え込んでしまった。

病気の原因の1つになった学部長特命の仕事は、文科省のSGU事業に応募するためのもので、これもわが職場の学内外でのプレゼンスを高めたいという思いと、同じキャンパスにある複数の学部の連携性を育てたいという思いから、たった独りで突貫工事で案を作った。幸いSGUには採択されたが、私の案は今も同僚から罵倒され続け、私の思いと全く違う方向に向けて制度化されるつつある。それはもはや何のプレゼンスも高めないし、学部間の連携も結ばない。

どうもいけない。同じパターンに陥っているようだ。私がよかれと思うことは、けっして皆から評価されない。それは、私の判断にどこか無理があるからだ。いや、判断の背後に無意識に働いている、ある種の利他主義が歪んでいるのだ。一方で私は健全な利己主義を好ましく思い、授業でもそこを基盤に語るようにしている。建前の健全な利己主義と本音の歪んだ利他主義。ここを精神分析的に解放しないと、社会的な存在としての私は、決して幸せにはなれないに違いない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

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