法政大学社会学部のレガシー(制度遺産)とは何だろう。

先の便で、わが職場のプレゼンスを高める云々という話を書いたが、当時も、二度も執行部を経験した後の今も、わが職場の「ウリ」というか「ブランド力」といったものが何なのか、正直よく分からない。ウリやブランド力が不明なまま、プレゼンスを高めるといっても無理な話だったかもしれない。

社会学部だから社会学だろうといっても、社会学者は半分もいない(旧教養系教員を自前で抱えているので仕方がない面があるし、実はそこが隠れた魅力なのだが)。舩橋先生がご健在の頃は、環境社会学あるいは環境研究がブランドのように見えていたが、舩橋先生が亡くなられたとたん、そんなことあったっけ?といった感じで、早晩環境の看板を下ろしてしまうようだ(優れた環境系の教員はおり、また舩橋門下の若い環境社会学者たちにとっては誇るに足る母校なのだろうが、舩橋先生の後任をなぜか採らなかった、バカだなあ・・・)。テレビ研究かなあと思うこともあったが(稲増龍夫先生はじめ優れた研究者は多い)、水島宏明氏に逃げられ、これもテレビの後任は採らないという。昔のことを持ち出して労働だという意見も聞くが、今労働の専門家は1人しかいないし、そもそも私が入社した15年前も2人しかいなかった(2人とも斯界に知られた大先生ではある)。ミスター法政だった例の北川隆吉先生も中途退社で、後継者はいない。昔の中野収先生とか今の稲増龍夫先生とか、マスコミ受けする教員もあくまで単発だ。宇野弘蔵がいたとか中西洋がいたとかいっても、これもやはり単発だ。そもそも私のような生産性の低い教員を雇っているようでは・・・。

他の大学がどうか知らないので、もしかすると、そもそも大学の学部にレガシー(制度遺産)を築くこと自体が難しいのかもしれない。わが母校の東大だって、今や吉田民人先生のような理論社会学も、見田宗介先生のような社会意識論も?・・・だ(やっている方がいたら、ごめんなさい。知らないんです)。

でも、舩橋先生が愛された「アカデミック・コミュニティ」という言葉を活かし続けるならば、レガシーはあった方がいいと思う。そのためには喧嘩しながらでもいいから一緒に大学院教育を行って、育った院生をどんどん母校に戻すべきだと思う。私のような「東大からきた(東大に戻ることばかり夢見ている)植民地官僚」は不要だと思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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