暴力について再び考え始める

先便で高校の同級生の死について書いたが、その葬儀についてのやりとりに乗って、別の同級生が警察の要職に就いたというニュースが流れてきた。私たちの年でその職に就くのが早いのか遅いのかよく知らないが、昔の軍隊でいうと師団長閣下ということになるのだろう。この同級生は小学生時代の進学塾以来の友人で、その塾ではいつも一番だった。私はまぐれでも三番どまりだったので仰ぎ見るような存在。いや、当時いわゆる「眉目秀麗」あるいは「白皙の美少年」だった彼に、醜く太った私は嫉妬していたに違いない。今ネットニュースで彼の写真を見ると、100%エリート官僚然とした、特徴のない顔の向こうに、当時の面影が微かに漂っている。

あるとき、2人だけで塾から帰ったことがあった。周囲の噂話では彼は東大医学部志望「でない」という。私は不思議に思ってたずねてみた。すると、彼はうつむいて「血を見るのが苦手なんだ」と言った。私はそのときはじめて、冷たい秀才の彼に温かい血が流れているような気がした。

血を見るのが苦手なはずの彼が、なぜ警察官僚を仕事に選んだのか、私には分からない。それは潜在的にはもっとも血を見ることの多い仕事なのではないか。直接見なければいいということなのか。彼の重責に文句をつける気は毛頭ないが、彼の心理の暗がりには興味を引かれる。

これも先便で「女嫌い」と書いたが、それと同じくらい「男嫌い」なところが私にはあって、だからやはり同性愛者ではないと思う。私が「男嫌い」な理由は2点で、1点は暴力を行使する可能性を決して手放さないところ、もう1点は共同体を捏造し、それに耽溺するところ、あわせて言えば、暴力を共有する共同体のエージェントであるところである。先便で触れた「ホモ・ソーシャルな関係」に関わらせると、原典は女性を対象として共有することを通して成り立つというが、私に言わせれば、その女性とは暴力の対象として共通に観念される表象に他ならない。私はけっして暴力を行使したくないし、共同体に埋没したくない。だからできれば男でありたくないし、男に憧れることもない。

たとえ精神科医で投薬だけであっても、医者は他人の具体的身体に暴力的に介入する。たとえ机上で計画書を練るだけであっても、役人は国民の集合的身体に暴力的に介入する。いずれの場合も、暴力を相手に想像させることができれば、相手を必ず支配することができる。逆に、自由は暴力から解放された場所にしか存在し得ない。先便で私が大学は自由と非暴力の場所であると書いたのは、そういう意味だ。もちろん実際の大学は、依然として男性偏重である上に制度と組織がグズグズなので、アカハラ、セクハラ、パワハラの無法地帯である。しかし、私は大学こそ、自由と非暴力を追求できる数少ない空間であると信じている(普通に考えれば、それは福祉施設だろうが、そこも同じ問題を抱えていることは、昨今のニュースを見れば分かる)。

拙著『群衆の居場所』の1つの重要な課題は、都市騒乱事件に現れされた集合的暴力をどのように評価するかという問題だった。当時の私は、ヒトへの暴力とモノへの暴力、個別の暴力と集合的暴力、反復される暴力と乗り越えられる暴力を区別できると信じ、そう書いたが、考察が全然足らなくて、まったく評価されなかった。今ならもう一歩進んで、H歴史的事実としての暴力から(H.ルフェーヴルのいうように)創造的可能性としての非暴力を抽出することに挑戦できるかもしれない。暴力について再び考え始めようと思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 暴力について再び考え始める

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    わが母校のようなエリート進学校の問題は、以上の私の考え方が正しければ、リバタリアン的競争至上主義の人間を育ててしまうことにあるのではなくて、顕在的にしろ潜在的にしろ、暴力を無制限にふるってい恬として恥じない人格を大量生産することにあるのではないか。その意味では、わが母校の創業の父が嘉納治五郎であり、校是が「精力善用 自他共栄」であり、4年間にわたって柔道が必修であることは、重大な意味を持っていたのではないか。また、わが母校で一番有名な教師が、故橋本武先生であり、先生が宝塚を溺愛され、先生の教科書が『銀の匙』であったことにも、重大な意味があったのではないか。さらにはその橋本先生の生徒の一人が遠藤周作であったことにも、重大な意味があったのではないか。

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