水田洋の「貴重な」証言:最近の新聞記事から

14日の朝、朝日新聞の愛知地域総合版を何気なく見ていると、「語り継ぐ戦争」という、ちょっと時季外れのコーナーで、近所のお爺さんの体験談のような記事が目にとまった。題がいわゆる「コロニアルな」内容だったので「日本軍占領下の生活はよかった」みたいな話かなと思って読んでいくと、ジャワの「慰安所」の話になり、英語が話せたので白人の慰安婦に「好まれ」てお茶をご馳走になり(26歳の立派な男が!)、彼女たちは外出もできたので、「昨今話題の『強制連行』とはちょっと違う雰囲気だったな」と結ばれていた。ヘンな話だな、と思って語り手のプロフィールを見ると、何と水田洋、御年97歳。社会科学を学んでこの名を知らぬ者はいまい。『リヴァイアサン』にしても『国富論』にしても、岩波文庫の彼の翻訳で読んだ人は多いはずだ(私はもっと古い訳)。近所のお爺さんではなかった(確かに隣の区のお爺さんなのだが)。

あらためて読み直すと、色々面白いことが書いてある。彼は東京商科大卒業後(もう高等商業専門学校ではなかったのだ)、東亜研究所(今の駿河台の明治大学のところにあった、チョーあやしい研究所)に入れてもらい、それでジャワに派遣されたらしい。おや、特別研究生でも学徒出陣でもなかったのか、と思って生年を見ると1919年。20年生まれなら神宮外苑を一周して「国の神」だったかもしれない。福武、日高は17、18年生まれ、北支戦線を彷徨った中野卓先生は20年生まれ、『決死の世代と遺書』の森岡清美先生は24年生まれ。生年が生死を分けた世代だ。また学生新聞の記者として満州を取材したとき、マルクス主義を奉じながら現地の労働者を酷使している先輩たちを見たとあるが、これはたぶん満鉄のことで、先輩というのは隅谷三喜男のことかもしれない(ただし隅谷は東大出)。

しかし何より驚かされたのは、先述の「慰安婦」のことだ。私にはまったく意味が分からない。慰安婦が強制でなかったというのは、営業の自由があった、あるいはもともと売春婦だったということなのだろうか。直前に「軍の力で」と書いてあるから、そうではなかったのだろう。無理矢理従事させられていたが、ある程度の心身の自由があったと言いたいのだろう。しかし、それは強制された側に立つ気のない発言だ。仮に「当時の」彼にそう見えていたとしても、彼が標榜する「ヒューマニズムと合理主義」に基づく社会科学者なら、その構造的背景と、そこから滲み出る被害者の心情と論理を、「今は」見通さなければならない。そうしないなら、「わしは中国で何人も人を斬った」といった手合いの、近所のお爺さんの与太話の域を出ないし、逆に社会科学者として発言しているなら、それは歴とした「修正主義」だ。97歳だから何を言っても許されるというものではないと思う。

むしろ問題は、水田洋のような大学者も免れることができない、この国の「ジェンダー秩序」(江原由美子)に関わる男性的暴力であると思う。ただ性暴力であるだけでなく、暴力を自然的な事実として肯定してしまうところが問題だ。他山の石として、自分の下半身をよく覗き込み、襟を正さなければならないと思う。

感謝したいのは、この記事をまとめた伊藤智章記者だ。相手の権威に阿らず、ニュアンスを漏らさずにまとめてあったので、私は以上のことを考えることができた。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 暴力について, 見聞録 パーマリンク

1 Response to 水田洋の「貴重な」証言:最近の新聞記事から

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    森岡清志編『地域の社会学』の「地域が歴史を創り出す 歴史が地域を造り出す」にも書いたが、戦争中いい思いをした福武・日高の、戦後の「正義の帝国」で生き延びなければならなかった中野先生の心情を推し量ると、胸が苦しくなる。私なら耐えられなかっただろう。名主有賀喜左衛門と心の中の「大和屋忠八家」があったからだろうか。いや、やはり中野先生には中野先生の社会学があったから生き延びられたのではないだろうか。その社会学が『口述の生活史』を書かせたのではないだろうか。

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