『精神分析入門』の子どもたち:『フロイトのウィーン』を読む

なかなか焦点が定まらない読書で恥ずかしいが、今度はB.ベッテルハイム『フロイトのウィーン』(みすず書房)を読んだ。訳者森泉弘次のあとがきによると、翻訳に取りかかったときに、ベッテルハイムの87歳での自死の報が届いたという。また今ウェブで検索すると、死後に学歴詐称や業績の歪曲(患者への虐待)が暴露され、今では忘れられた学者になっているらしい。なのになぜこの本か、というと、都市社会学者として「フロイトの(診察室)と(ゲルナーのいうハプスブルクジレンマ)のウィーン」という、イーフー・トゥアン的構図に惹かれたからだ。読んでみると、エセ学者という先入観が邪魔してか、安手の観光案内のようで、あまり面白くなかった。これなら『心理学者、心理学を語る』所収のV.フランクルの回顧の方が、短いがずっと真に迫っていて面白かった。同じ本のなかにある「なぜ精神分析家になったか」も、肝腎のフロイトとの関わりはぼやかされていて、やっぱりかと思ってしまう。でも、きっとベッテルハイムのような人が育ったのも、「フロイトのウィーン」から強制収容所とエリス島を経てアメリカの大学の「亡命知識人」(L.コーザー)と歴史的時空間の特徴なのだろう。

ベッテルハイムは1903年生まれ、同じウィーン子のラザースフェルドは1901年、フランクルは1905年。ドイツ語圏のユダヤ人に広げると、フロムが1900年、エリクソンが1902年、アドルノが1903年、カネッティが1905年、これにパーソンズ1902年を加えると、1917年、第1次世界大戦での崩壊間際のウィーンで刊行された『精神分析入門』の作用した歴史的時空間が見えてくるようだ。敗戦後のウィーンやフランクフルトで、彼らは最新の知識としてフロイトに出合ったのだ。ただし当のフロイトは還暦を超えて、「ヒステリー研究」の臨床家から「トーテムとタブー」の思想家への変態を遂げつつあったのだ。

さらにゲルナーの『言葉と孤独』(ウィトゲンシュタインとマリノフスキー、あるいはカフカ)をここに重ね合わせれば、1つの明確な社会の像が描き出せるに違いない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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