地域社会学を教えていません:地域社会学からの出発1

自己紹介に「法政大学で地域社会学を教えています」と掲げているが、今私は地域社会学を教えていない。「地域社会学」という半期2単位の講義科目では都市社会学の話をしている。

わが学部には採用時に定められる主担当科目という制度(ただし、条文化されていない)があり、通常各教員の専門分野が通年2科目4単位分の講義として割り当てられる。だから本来なら「地域社会学Ⅰ」「地域社会学Ⅱ」となるべきで、実際01年に入社したときはそうだった。ところが故舩橋晴俊先生の発案で、政策科学系の科目は「Ⅱ」を「政策事例研究」という名前に変えることになり、私の科目は「政策事例研究(地域社会学)」になった。さらに舩橋先生が学部長の時、この科目を「コミュニティ形成論」と変更して新規採用教員の主担当科目とすることになり、この新任と私は、例外的に主担当科目が半人前ということになってしまった。それ以来、カリキュラム改革が議論される毎に半人前扱いされ、ほとほと嫌になってしまった。私が舩橋先生を恨んでいる理由の1つである。今またカリキュラム改革が取り組まれており、私は、もう「地域社会学」なんて名前もやめてしまいましょう、と提案している。ただし教職免許や社会教育主事資格に関わるので(後者は福武・日高の「正義の帝国」に関わっていたのだろう)、たぶん名称変更は無理だろう。

大学全体としては「分家」の現代福祉学部が創設以来地域コミュニティに力を入れているので、「選択と集中」原則から、わが学部は別のことをやった方がいいと思う。それでクビになるなら、まあ仕方がない。

昔似田貝香門先生から「異動した代価として異動先のポストをもう1つもぎ取れ」と言われて冷や汗をかいたが、もうそんな右肩上がりの時代ではないし、まだそれが現実だとしても、私は関わりたくない。「地域社会学」は私の代で店じまい、「もうアカン、やめます」でいいと思う。

一応「地域社会学会」の会員だが、もう長いこと幽霊会員になっている。30代の10年間はずっと理事を務め、古城利明先生、故藤田弘夫先生、浦野正樹先生ら力ある編集委員長を補佐して『年報』の定期刊行化に力を注いだが、近頃活動する意欲を失ってしまった。一番大きな理由は、95年の阪神淡路大震災以来、学会の大方が問題関心を「災害コミュニティ論」に限定してしまったことにある。それ以前はマルクス主義を払拭できていなかったから、このイノベーションには意味があった思う反面、それ以前の地域社会学を学んだ最後の世代としては、正直ついていけなかった。マルクス主義時代は、正否はさておき経済構造への関心に支えられていたが、今の地域社会学は(というか、日本の社会学は)政治実践への関心に偏っていて、「労農派」の私には馴染めなかった。いや、それ以上に「災害コミュニティ論」という構えに、私は心底馴染めなかったのだ。少し年少の学会のヒーロー、山下祐介首都大学東京准教授のお仕事を見ると、しみじみ自分とは違うなあ、世界の見え方がちがうなあ、と感心してしまう。よくも悪くも学者なので、知的関心が向かないところには、足も向かない。昔学会大会の懇親会で、安原茂先生から「将来を頼みますよ」と言われたが、私なしでも学会の将来は開けているし、そこに私の将来はない。

万一字義通りの「地域社会学」の講義をやらなければならなくなったら、私はやはり大塚久雄の(当節はやりの内山節ではなく)『共同体の基礎理論』からはじめるだろう。そしてコミュニティの実践より構造の歴史的由来を語るだろう。

では、私にとって都市社会学はどうなのか、は、稿を改めて考えてみたい。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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