法政、おおわが母校:星野智幸『俺俺』に文句をつける

仕事の合間に、星野智幸『俺俺』(新潮社)を読んでいる。新聞に掲載されたエッセーなどを見ると、割合社会(学)的な関心があるようだし、何より同世代なので、興味をもった。読んでみると、たしかに筋は社会学的にも読めるものの、私とは真逆の方向の感性だった。たぶん、彼が書いていることを彼は外から見ているが、私は中で生きているということなのだろう。だから私は自分が「俺」だと思わないし、そうだとしても決して自覚しないだろう。

筋と関係なく不愉快な描写が1つだけある。それはある「俺」の母校がわが法政大学とされていることだ。「俺」の職場の家電量販店は仮名になっていて(だいたいどこか分かるけれど)、また別の「俺」の職場はさいたま市役所になっている。大学は半分公的機関だから実名でということなのか。しかしさいたま市役所は比較的中立に描かれるのに、わが法政大学は明らかに揶揄的に描かれている。それも大学そのものではなく、学生や保護者を揶揄している。これは許し難い。どうしてフィクションの大学か、自分の母校の早稲田にしないのか。首都圏の大規模私大なら同じようなものだろう。ひょっとすると、この人愛校心があるのだろうか(笑)。それとも母校の圧力が怖いのか。早稲田は卒業生の創作に圧力をかけるのか。

まあ歴史的には、早稲田と法政は神楽坂を挟んで、大学闘争以来犬猿の仲なのである。昔ある先生が学会の用事でわが校に来られたとき、「うちの旦那は早稲田の活動家だったから、昔はここ入れなかったのよねえ」と苦笑されていた。夫婦までチェックするとはさすが日本の学生運動だと感心したが、間抜けな話ではある。ただ、命が懸かれば間抜けとも言っていられない。

私の母校は「ただひとつ」の東大なのでここに愛校心はないが、悪口にいい気はしない。ただ、たぶん早稲田もどっこいどっこいだと思うが、愛校心と劣等感がない交ぜになったようなメンタリティが全くないわけではないと思う。これも昔、学生担当の管理職をやっていたとき、学園祭の夜の見回りをしたことがある。すると泥酔した学生が絡んできた。私が紺のブレザーを着ていたので、職員と勘違いしたらしい。「職員ふぜいが、偉そうに見回りなんかするな」という。今どきの大学の職員は人気相場で、母校か同等の大学出の人が多いのにな、と思っていると、「俺はお前なんかとはちがって、〇〇(本当か?御三家といわれる都内の有名進学校)出身なんだぞ」とさらに絡む。さすがに「私は灘高、東大、博士様です」というのも何だし、困ったなと思っていると、同行していた法政出身の学生センター長が「それじゃあ、夜通し飲むか」と引き取ってくれた。私はありがたく思いつつ、「こいつと夜通し飲むのはぜったい嫌だな」と思ってその場を立ち去った。

そういえば、その直後、久しぶりに活動家が攻勢をかけたとき、私は職務柄校門で防衛線を張ることになった。たまたま同じ紺ブレザーを着ていた。傍らで外国人の先生が大暴れしていてうらやましかったが、こちらは家族もあるのでそうもいかない。じっと我慢の子であった。数日後同僚がニヤニヤしながらやってきて、「中筋君、ウェブに出てるよ」という。見てみると確かに活動家のサイトに私の写真があって、「山の中のキャンパスからはるばる動員された、ご苦労さんな教員」とキャプションが振ってあった。こちらはちょっとユーモアがあって嫌というわけではなかったが、やはり劣等感を感じないでいられなかった。

私も「進学校の落ちこぼれ」(大澤真幸)なので、劣等感は分からなくもないけれど、赤の他人に向けるのはよくないと思う。自分の中で時間をかけて闘うべきだ。『俺俺』の作者には、そう言ってやりたい。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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