人を神に祀る風習:私の柳田国男の読み方

先便に書いたフランス料理のランチを食べたあと、ふと思い立って乃木神社と東郷神社をハシゴした。一応サヨなので、東京をフィールドとする都市社会学者ながら、上京以来30年余、両神社に詣でたことはなかった。しかし『菊と刀』を読む度に、近代の日本人としての乃木や東郷に想像を巡らせるので、思い切って訪ねてみたのである。

メトロの青山一丁目駅から歩いたので、神社より先に旧乃木邸に立ち入ることになった。二階建ての蔵のような洋館で、二階の周りに歩廊が回してあり、乃木と夫人が自刃した部屋を外から見ることができる。それぞれ畳の上に自刃場所が示してあって、何かものすごい。21世紀の世界都市東京の真ん中に、ものすごい野生の(むしろ古代的というべきか)暴力の跡が剥き出しになっている。よく幹線道路際に「死亡事故発生」という警察の看板があってギョッとするのと同じ、人の異常死が何の粉飾もされずに保存されていることが異常なのだ。洋館の隣にはステッセルから贈られた寿号の厩舎があって、そういえば森鷗外も退官までは観潮楼から乗馬で通勤していたのだったなと思う。神社自体にはとくに興趣はない。いい意味で普通の神社だと思う。メトロ乃木坂駅から二駅乗って明治神宮前、表参道に出ると、あたりが妙にタバコ臭い。かつて東京一おしゃれな街だった表参道に、時代遅れの喫煙文化が居残っているのだろうか。東郷神社は乃木神社より大きめの社殿で、後発の対抗心だったかな、などと想像する。至る所に聖なるイコンとしてZ旗があしらわれていて、苦笑してしまう。しかしこちらもいい意味で普通の神社である。ただ、近代の戦争英雄の遺蹟が、伝統ある結婚式場として身過ぎ世過ぎしているのは、仕方のないこととはいえ、割り切れない印象を持った。

次の日、あらためて柳田国男の「人を神に祀る風習」を読み直してみる。この論文は1926年に雑誌『民族』に発表したものを敗戦後あらためて冊子にし、國學院で講義したという。読み直してみると、敗戦後に次々と発表した『先祖の話』や新国学(新国劇みたい・・・笑)三部作の扇の要であることに思い当たる。戦後を生きる上で最重要の課題は「人を神に祀る」ことだと、柳田は言っているのだ。それは片方で靖国の英霊の問題であり、もう片方で人間になった現人神の問題である。

しかし、1926年の段階ではそうではない。柳田の関心は「国史と民俗学」問題に集中しており、国史攻撃の最新兵器として民「族」学を用いるのである。それが後の『民間伝承』からは失われた『民族』の緊張感である。成城大学の柳田文庫の蔵書リストを見ると、1922年刊行のマリノフスキ『西太平洋の遠洋航海者』とラドクリフ=ブラウン『アンダマン島民』が初版で入手されていて、見たことはないが書き込みもあるという。語学の苦手だった柳田は、おそらく同人の若者たち、岡正雄、田辺寿利、有賀喜左衛門らに読ませたのだろう。1926年の論文は、だから乃木や東郷とは関係なく、中世の横死した武士たちが男山や宇佐の本家とは関わりない八幡神として祀られたことを追いかけている。前半はこの民俗を本家の神道に回収してしまう国史への不満を述べ、後半では(これが柳田の最悪なところだが)「重出立証法」というヤツで、際限もなく全国の事例が列挙される。そうして「国史」ではない「民俗」のありようを提示するのである。

しかし私は、この問題はもう一度「国史」に折り返せるのではないかと考えている。つまりなぜ他ならぬ中世で武士の横死が宗教的な問題となったのかは、やはり歴史の問題だと思うからである。この問題を解く鍵は、村上泰亮の『文明としてのイエ社会』にあると思う。古代以来の親族組織の維持、発展のためのレヴィ=ストロース的外婚体系であるウジ(公家)社会から(実際レヴィ=ストロースは『源氏物語』をそう読んでいる)、辺境開発、出世競争、領地移動のための能力主義的団体として新たに創造されたイエ(武家)社会は、そのリスキーな活動ゆえに必然的に横死する成員を産む。それをどうイエ社会の正常な社会的事実として位置づけるかといったときに、「人を神に祀る風習」が生まれるのである。だからこそ、その神は武士の神である八幡でなければならないのだ。

そう考えれば、近代日本社会が乃木や東郷を祀ることの意味も歴史的に見えてくる。イエ社会が国民と国家が連動する近代社会になったとき、やはり必然的に国家のために死ぬ国民を産んでしまう。それをどう正常な社会的事実として位置づけるかといったときに、新しい「人を神に祀る風習」が生まれるのである。それゆえに、乃木神社から東郷神社を通って明治神宮に至る線に靖国神社を加えた宮城の西側は、国民国家の首都東京になくてはならない宗教的聖域なのである。

私にとって柳田と読むことはこのような作業だ。私が学んだ頃の東大には、『世相篇』を自在に講じる見田宗介先生を薬師の本尊として、日光菩薩の『社会記』内田隆三、月光菩薩の『読書空間の近代』佐藤健二の両先生が控え、さらに柳田を激しく否定する佐藤俊樹先生もいらっしゃったので、ほとんど柳田を論じる余地などなかった。が、先生方とは別の読み方もあっていいと思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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