僕の先生は~労農派2:「組合への期待」への疑念

前便で紹介した私の師匠の新刊『現代日本の地域格差』の巻末は、農協、生協など協同組合の可能性への期待で閉じられている。協同組合と労働組合を安易に一緒に考えることはできないが、あえてそうするなら、労農派のもう1つの「しんのみはしら」は、組合への信頼、期待ということになるだろう。その意味では、私は労農派を受け継ぐことができない。

この第2部は「ノート」と銘打たれているので、論拠を挙げていないことをあげつらうのはマナー違反ではある(ただし蓮見先生は、彼の師匠の福武直の引用が、穂高町の別荘滞在中に文献なしで書いたせいで不正確であることをつねづね批判されていた)。しかし、農協は経団連のお隣さんだし(高層ビルに地産地消の高級レストラン付き!)、生協は佐藤慶幸先生や天野正子先生が精魂を傾けて研究された生活クラブ生協の盛衰を見ても、それに代わるように成長したパルシステムの華やかさを見ても、?だし、労組に至っては、首相とメシ喰ってニヤついているようでは、トホホと言うしかない。ちょっと例を挙げるだけで、これらの線に未来を切り開く可能性はないと思う。

公共社会学というものが日本に存在し得るのならば、むしろこれら在来型の非営利セクターがなぜ市場セクターにも政府セクターにも勝てないのか、批判することからこそはじめるべきではないか。その焼き畑の土からしか、新しい社会の構想が育つことはないのではないか。

ちょっと難しいのは、生協には福武直以来社会学者に名誉職のポストがからんでいることだ。大内力から私の師匠へ、そして今は庄司興吉先生へ。庄司先生の生協論など、学生時代聞いたローザ・ルクセンブルクやサミール・アミンの授業(「社会学説史!」)からは想像もできない。私は政治的に無能で、そうした利害団体から落ちこぼれてよかったと思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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