正月休みのことなど1:直井優先生からの年賀状に励まされる

父が営業マンだった影響か、年賀状を割合マメに出す習慣がついていて、先輩、友人、親族など150枚くらいやりとりがある。こちらの賀状に病気のことを記したので、多くの方から励ましの返事をいただき、たいへんうれしかった。ただ、一昨日急に、久しぶりに精神状態の悪化を経験した。完治ではなく上手につきあってしかないのだと、あらためて感じた。

なかでも励まされたのは、直井優先生からのご返信である。直井先生とは師弟関係でもなく、専門が同じなのでもない。例の学会官僚時代に、いくつかの委員会で隣に座らせていただいたくらいの面識である。しかし直井先生は私を覚えてくださり、年賀状にいつもていねいなご返信をくださる。今回も私だけでなく連れ合いをいたわってくださり、さらに病気の原因について、何も書かなかったのに鋭く推察してくださっていて驚くとともに、ありがたかった。

私にとって、直井先生は憧れの先輩である。最初にお目にかかったのは、学部2年生の盛山和夫先生の「社会調査法」の講義に突然見えられたときである。86年だったので、85年SSM(社会階層と移動全国調査)の補充調査か何かの調査員の募集、という名目だったかと思う。でもその時直井先生は、単なる「人買い」ではなく、SSMと社会調査が社会学にとってどれだけ大切かを短いが情熱を込めて語られた。もちろん盛山先生の講義も勉強になったし、前に『社会学評論』の書評に書いたように、そのおかげで今の私は「社会調査法」を何とか教えられるのだが、何よりその一瞬の直井先生の輝かしさは忘れられない思い出である。参考書として読んだ『社会調査の基礎』も古典的名著であると思う。

それからずいぶんたって、あるとき北川隆吉先生が(久しぶりの登場!)、「直井君を見習いなさい。直井君はたくさん研究のアイデアを持っていて、ていねいにノートを作っている」と言われた。その場の思いつきが鋭いだけにしか見えない(ごめんなさい)北川先生のこの称賛は意外だったが、最初の輝かしい思い出とこの言葉が重なって、胸に響いた。実際にそのノートを見たわけではないが、いつか自分もそうできるくらい、アイデアを創り出したいと思った。

病気が治っていく過程でそのことを思い出したのである。使いさしの大学ノートの白紙のページに少しずつ、アイデアとも言えないものを書き付けるようにした。だんだんたまっていき、少し練れたものはこのブログに書くようにした。今ではノートは3冊目が終わろうとしている。

もしかすると、今年は1本論文を書けるかもしれない。そうしたら、直井先生に読んでいただこう。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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