何だかひどく時期はずれ:文科省官僚の天下りについて

今頃ニュースになるのは、たぶん何か別の背景があるのだろう。オリンピック関連の懲罰人事とにらんだが、イエロージャーナリズム的過ぎるかな。

10年くらい前に、学内の書類に見慣れない教授の名前を見つけた。教員検索に引っかからない。もう退職した人かなとも思ったが、いろいろ調べてみたら、どの学部にも属さない「総長室付き」の教授ということが分かった。学部に属さないので教授会の採用審査もなく、専門職大学院の実務家教員でもない。もうちょっと調べてみると、もと文科省の課長らしい。私はバカで、「何で課長程度で教授になれるんだ」と頭にきたが、これは全くピントがずれている。どうやら文科省から情報を流してもらうために採用した(させられた)らしい。また、大手はどこでもやっているよ、ということらしい。何てこった、と思っていたら、いつの間にかいなくなった。今はこうした手合いはいない(たぶん・・・)。

文科省が身内だからというわけではなく、90年代にいろいろな大学が教養課程の語学を再編して「国際ナントカ学部」を作ったとき、審査の過程で「外務省のOBを採用することが条件だ」と圧力をかけられたという話を聞いたことがある。当時の外務省のOBなんて、下手をすると大学中退である。逆に出ていたらノンキャリだ。どうやって採用審査すればいいんだ、と、知り合いの先生がぼやいていた。

マスコミはこの問題の核心を外している。なぜこんな天下りが可能になったのか。それはCOEとかSGUとか、20世紀の巨額の私学助成金に代えて(今は天下りの必要がないほど、少ない)、21世紀になって大学単位の競争的研究資金が大々的に導入されたからだ。そしてそれが真の(計画のよさと成果のよさに基づく)競争ではなかったからだ。だから、何年経っても日本の大学はちっともよくならない。でも、よくならなくてもいいのだ。役人のOBが天下れるような組織、天下りをはじめ、学長が何でも専決できるような組織に私学が変わればいいのだ。屍肉に群がるハイエナとはよくいったものだ。

あと20年、何とか窒息せずに、この職場で生きながらえること。考えるとため息ばかり出てくる。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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