歴史学は歴史学:石母田正『日本の古代国家』を読む

新しい解説を大津透先生が書かれているというので、文庫再版された石母田正『日本の古代国家』を読んだ。ついでに再刷された『中世的世界の形成』も合わせて読んだ。石母田はこれまで食わず嫌いで、論文をいくつかしか読んだことがない。だからこの2つの代表作を通しで読むことには、新鮮な期待がある。

大津先生は山梨大学旧教育学部時代の同僚である。「社会科」という教員組織のなかで一番年が近く、また同じ東大文学部出身で、東京から通っていたこともあって、親しくしていただいた。もちろん歴史学界きっての俊英の大津先生と私では月とスッポンなのだが(実際その後の20年はまったく月とスッポンだった)、軽く扱われることは一度もなかった。一度人事か何かの機会に、私の歴史学観について厳しくたしなめられたことがあったが、それも、その率直さが有難かった思い出である。

そのとき、たしなめられたのは、私がいわゆる「網野史学」を無批判に受け入れてしまっていたことにだった。当時の私は、日本史網野善彦、西洋史喜安朗、文学史前田愛という社会史の3人の巨人に依存しきっていたと思う。だから『よくわかる都市社会学』でも網野と前田の項を立て、網野の項は自分で書いたのである。そんな大津先生が、『日本の古代国家』の解説で、網野との学問的交流に触れられているのは、とりわけ意外かつ興味深かった。ちなみに、喜安朗については、亡くなられた元同僚の相良匡俊先生と話していたときに、後輩の先生が複雑な表情をされたことを通して、依存から脱することができた。

さて、石母田の2冊の本であるが、食わず嫌いの理由が少し見えてきた。それはナショナリズム的心情ということである。『古代国家』では国際的視野、『中世的世界』では時間的展開というマルクス主義的な方法論を使いながら、結局通時的個性としての日本に固執しているように読める。昔の言い方で言えば「講座派」的なのである。ナショナリストではない(「労農派」の)私なら、同じマルクス主義の方法論を使っても、むしろ通時的個性を破壊あるいは脱構築することに注力するだろうし、ナショナリズムに根ざすとしても、描き出す日本はこうでなくてもいいと思う(こうでない描き方のモデルとして、今私はH.ピレンヌを想定している)。

一方で、そうしたナショナリズムが石母田の生きた時代のなかで育まれた「同時代的な」ものであることは、積極的に受けとめたい。石母田よりやや年長で、わが法政大学多摩図書館に蔵書が「文庫」となって並んでいる服部之総もそうだが(「明治の五十銭銀貨『再読』の項参照」)、第二次世界大戦後の国際的危機のなかで、日本の国家すなわち官僚制がどう再編成されるのか、この現代的な課題を考える方法として石母田の古代史はあるのであり、服部の明治史もあるのであり、石母田が明治史ではなく服部が古代史ではないところが、2人の「講座派」の歴史家の個性の対立点なのである。そこで私はといえば、やはり服部を取りたい。

こうして考えてみると、歴史学は社会科学の前近代的形態でもなければ、社会科学のデータ生産工場でもない。歴史哲学というのもほんとうは間違いで、哲学すら支配できないほどに独立した、正統な(オーソドクスな)思想活動の1つであることが分かる。だとすれば、私たちが歴史書を読む意味は、客観的な歴史を知ることでも手前勝手な歴史(近頃流行の「オルタナティブ・ファクト」)を知ることもなく、生きる心の糧を得るために歴史的記録に分け入っていく歴史家の心と頭の動きを追体験することにあるのだ。省みれば、同じく生きる心の糧を得るために、社会調査というコミュニケーションを通して同時代の人びとの実践と言説に分け入っていく、社会学という思想活動の本質に根ざさない限り、歴史社会学などというのは、まことに底の浅い戯れ言でしかない。歴史家に参照されないのも当然である。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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