必ずしも尊敬できない先輩たち1:梅棹忠夫

尊敬する先輩ばかり書いていると優等生みたいなので、必ずしも尊敬できない学問上の先輩たちについても書こうと思います。最近梅棹忠夫の『回想のモンゴル』(中公文庫)が再版されたので読みました。前から社会学や人類学の戦争協力について関心があったのです。しかし、予想通りそこにはなにも書かれていませんでした。張家口の西北研究所での日々と奇蹟の引き揚げが淡々と書かれていました。この淡々さを支えるある種の強い精神が、私には同じ学問の徒として信頼できないのです。学問は原理的にはすべてを疑い得るし、疑わなければならないと思います。それが自分の欺瞞的な生であったとしても。そもそも当時モンゴルで妻を連れて住み込み調査をしたいという欲望自体が、時代に引きずられた傲慢なものだったのではないでしょうか。はじめて人類学に興味を持った神戸の高校生の頃、周りは京都大学進学を薦め、その気になって梅棹忠夫に触れたのです。なぜか惹かれず、上京したいということもあって京都大学は受けませんでした。そのときの直観は間違っていなかったと思います。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 尊敬する先輩たち パーマリンク

1 Response to 必ずしも尊敬できない先輩たち1:梅棹忠夫

  1. 辻 宏明 のコメント:

    夏休み前に先生からご紹介いただきました建部遯吾先生についても(アウトラインですが)調べてみました。著作集の一覧を見ていると、私的には今日的評価(例:世界の名著47デュルケム・ジンメル巻末付録32:社会学から何を学ぶか:尾高邦雄先生×加藤秀俊先生対談)からくるイメージ(保守的国家主義者)とのズレがあり、坂の上の雲の時代に国家や民族・集団の善性の側面(雲)を信じて国家や社会・家庭の在り方について広範に考えており、真面目な人だったんだろうなとむしろ好感を覚えたほどです。
    ただ、やはり、東大では社会学の主任教授ひとりだけ体制とか、経済学の領域における宇野弘蔵先生と初期の講座派に見るように、コミンテルンの活動に慎重だったものが、その後一気に時代に流されて、日本のマルキシズムの総本山になったりする部分に、日本のアカデミズム全体の構造的な在り方(知識輸入卸売総合商社-多様な議論・論者の不在→素養としての哲学/論理学、実践としての実証/統計学の弱さ、官学主導-民実学志向)がとてもヒエラルキー構造になっており、右傾化にしても左傾化にしても極端で、今日にも変わらぬ脆さや危うさを感じさせられます。
    そのような観点から、多様性を与えてくれるはずの諸科学の研究者の存在・動向というものは非常に重要になり、梅棹忠夫先生を取り上げるというのは意義深いものを感じます。(辻@政策D3)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください