『ツィゴイネルワイゼン』で映画に目覚めた頃:鈴木清順監督追悼

高校生の頃、亡き父が録画していた『ツィゴイネルワイゼン』を見た。たぶん性に目覚める頃で、ポルノシーンを期待して見たのだと思う。しかし、そうではない世界に魅せられてしまった。それまで見てきた映画は、たとえば寅さんシリーズや『サウンド・オブ・ミュージック』のようなしっかりしたストーリーと、それを支えるまっとうな映像によって構成されたものばかりだったから(今見直してみると、どちらもそれだけの映画ではないが・・・)、ストーリーは訳分からないし、映像は無茶苦茶だし、主人公は汚いし(あの頃原田芳雄ほど汚い二枚目はいなかったのではないか)、といった映画は実に新鮮で、もっとこうした映画を見たいと思った。

父がこの映画を録画したのはなぜだったのだろう。映画は好きだったが、若い頃『百鬼園随筆』にはまったことがあると言っていたから、百閒ファンなので録画したのかもしれない。生きているうちに聞いておけばよかった。

父は『陽炎座』も録画していたので続けて見たが、これはピンとこなかった。一方、父の書棚に小林信彦『日本の喜劇人』の新潮文庫版があって、読んでみるとこの鈴木清順という監督は『けんかえれじい』という傑作をものしたことがあるという。しかし田舎町には名画座はなく、上京するしか見る手段はない。東京の大学に行きたい気持ちが高まっていった。

大学3年の頃、大井町西口の道路のどん詰まりにあった大井武蔵野館で、あらかたの鈴木映画を見た。『けんかえれじい』より『野獣の青春』(の川地民夫)が面白かった。でも、日活映画の大海原のなかで、鈴木映画は魅力的ではあるが1つの島に過ぎなくなっていった。そのうち新作『夢二』が鳴り物入りで封切られ、期待して見たが、私にはただ退屈で、私のなかで鈴木清順はまったく過去の人になってしまった。

『ツィゴイネルワイゼン』と同じように感動したのは、これも当時東京勤務で同居していた父が録画した小川紳介『一千年刻みの日時計』である。蓮實重彦ではないが、どちらも映画的快楽に満ちていて、かつたぶん私としては前者は高校生くらい、後者は大学生くらいの精神の成長度に合っていたのだろう。

どちらかというと、NHKのドラマで加藤治子の妻と九州の温泉場をめぐる老夫婦の夫を演じた鈴木清順をよく覚えている。セリフが「馬鹿野郎」しかなくて、その口舌が素敵だった。オタクの人なら『ポワトリン』の神様という所だろうが、私は見ていないので分からない。

映画好きの友人から、「お前はもっと黒澤や小津を見た方がいい。好みが搦め手過ぎ」と笑われたが、そのはじまりは、『ツィゴイネルワイゼン』だった。でもそれは必ずしも搦め手ではないと思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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