少年老い易く学成り難し:若手社会学者の労作発表を聞く1

関東社会学会という学会の研究例会で、文字通り「気鋭の」都市社会学者お二人の発表を聞いてコメントする機会を与えられた。

お二人というのは、東京下北沢のまちづくりを対象に『「共生」の都市社会学』(新曜社)を書かれた三浦倫平さんと新宿歌舞伎町の風俗店の社会関係を対象に『生き延びる都市』(新曜社)を書かれた武岡暢さんである。どちらの研究も社会学として優れているばかりでなく、読み物としても興味深いので、ぜひお薦めしたい。

発表を聞き、またこちらの薄っぺらなコメントへの回答を聞きながら、私は学問的応答とは別の次元のことを感じていた。これは聞き取り調査のときもそうで、私のくせというか、ちょっと変態的なものかもしれないが、相手の姿勢というか、身体のたたずまいのようなものが気になるのである。だから、言い回しばかりくどくどと記録する、今どきの聞き取り記録にはまったくリアリティを感じられない。もっとも、翻って自分が原稿ばかり見て話しているとか、相手の話を聞くより先にどう反応するかに気をとられて、目が泳いでいるといったことについては、決して反省しない。

さて、それで何を感じたかというと、気鋭のお二人の思考が生きている時間と自分の思考の生きている時間のちがいである。お二人のたたずまいには、いま分からないもいつか分かるだろうという余裕が感じられる。対する私の、今とりあえず分かっているし、分かったことで済ませようという余裕のなさと対照的である。これは端的に若さと老いという問題だ。何かがうまく行かないとき、次はうまく行くと思えるか、もうこれ以上うまく行くとは思えないので、今うまく行っていると思い込みたいか。粋がって追い抜いたものの、すぐに息が上がってハアハア言っている横を悠々と駆け抜けられるような、そうした感じ。このブログで何度か嫉妬について書いたが、今回感じたのは嫉妬ではなく、単なる自分の老いだった。

老いを老成にしていくこともできるだろう。また見田宗介先生がどこかで書いていたが(この言い回しは見田先生のもの)、いつまでも若いのは異常である。しかし老いに抗っていくこともできるのではないか。世の人びとがカズやイチローに惹かれるのは、いつまでも若いからではなく、そうした抗いにではないか。老いに抗うこと、これが今回私が一番学んだことである。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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