ポストコロニアルな大手私大:「自分の職場」の社会学(笑)

近頃またナンデモ社会学が増えてきたようなので、尻馬に乗って・・・。

ある会合で「東大の植民地」が話題になった。東大より歴史のある慶應義塾を除く、多くの大手私大の教授陣を東大出身者が占めていたことをいう、歴史的な言葉だ。国公立大学も、『白い巨塔』の浪速大学医学部のように東大出身者と母校出身者が折半していたり(中村伸郎の東教授!)、昭和時代の大阪大学社会学研究室のように東大と京大で折半していたり、いずれも東大出身者が幅を利かせていた。しかしこれはまったく過去の話だ。

わが職場の教授会は1学年800人の学生に対して66人の集団で、うち社会学者は20人(あくまで私からの見え方であって、ご本人のアイデンティティとは関係ない)、社会学でない社会諸科学が26人、自前で揃えた語学や旧教養系科目が20人といった構成である。社会学者が3分の1に満たないのは、応用経済学科から始まった「社会科学部」としては、仕方のないことかもしれない。これでも私が赴任した2001年当時から見れば倍増である。さて、そのうち東大出身者は狭い意味では6人である。広義すなわち大学院からを加えても8人で(学部からか大学院からか、このちがいはこだわる人はこだわるところ)、一方、社会学でない東大出身者は5人で、うち4人はいずれも学部卒で社会人からの転身組だ。影響力も何も、あったものではない。

わが職場の創世神話は、戦間期に国策で作られた、政府寄りの労働組合幹部養成校を大内兵衛大総長が買い取り、社会科学部として設置申請したところが、「社会科学」などというアカの名称は罷り成らんという旧文部省のひと声で「社会学部」となり、しかし国立大学に先駆けて「社会学部」を設置することは罷り成らんという、更なるひと声で一橋大学社会学部(これも実態はアカの社会科学部)に遅れ(私大初の社会学部という「名誉」(笑))、さらに「社会学部」なら社会学者がいなければいかんという、とどめのひと声で、東京帝国大学社会学研究室出身の「アカい歴史学者」服部之総を採用したということである。ところが服部がすぐに亡くなっていまい、あわてて生粋の東大社会学出身者を採用したのが、かの北川隆吉先生、押しも押されぬもっともアカい社会学者だった。

人間機関車北川先生は次々と東大社会学出身者を「青田買い」し、その下で母校出身者を次々と育成された。その頃がわが職場の高度経済成長期だったのだろう。ただ植民地の悲しい性、植民地官僚は数年経つと本国や別の植民地に移ってしまう。そうこうしているうちに、上のようなさびしい数字になってしまったのである。社会諸科学の方も昔は宇野弘蔵や中西洋先生がいらっしゃったけれど、これまた上のさびしい数字の通りである。

でも、ほんとうの問題はそこにはない。今母校出身者は学部が1人、大学院が1人、別の学部が2人しかいない。これは伝統ある私立大学の学部としては致命的な数字ではないか。東大はもうどうでもいいので、母校出身者が3分の1くらいいる学部になってほしいと切に思う。そのささやかな貢献として、ずっと大学院生の社会調査士資格申請のお手伝いを続けているのである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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3 Responses to ポストコロニアルな大手私大:「自分の職場」の社会学(笑)

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    ただし、他の大学出身者で東大出身者最大13人に匹敵する集団はない。多くて一橋(因縁の!)と慶應の4人である。その点では、やはりまだ「東大の植民地」といえるかもしれない。学部長でいうと、私の赴任した2001年以来の9人のうち4人、うち社会学研究室出身者が3人で、比率で見ればやはり「東大の植民地」といえるかもしれない。対する母校出身者は3人である。しかし、こんな数え上げを社会学と言ってやっている私って、やはり変なヤツ(笑)。

  2. かほう鳥 のコメント:

     東大の植民地..。東大が托卵地のひとつに(なんないか)。進学スポンサーにとって東大京大卒(合否は別にして出資者はのぞめど本人が通うことない大学とかも)のセンセ数はポイントとなってしまう。しかし創立数十年以上の大学で母校卒センセがいないというのも如何か。
     大学は、おでん(まカレーでも)みたいとこと考えます。大混,知薫話、爆談、志等多気、多摩語、スジ(乞笑)とか。、、、私は寝離者で。***官立のは基本出汁だけは親方に決められてて、私立のは基本から特製出汁。作ってだすのは大変だけど、それを食べた後各々の人生の栄養になっていればいいです。おいしくてもまずくても。  やっぱり婆にはムズイですね。
        失礼しました。

  3. 中筋 直哉 のコメント:

    かほう鳥さん、コメントありがとうございます。私の実家は関西なので、子どもの頃のおでんには、コロといって鯨の炒り皮が入っていました。そんな風に退職まで勤められればと思っています。

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