新企画「新幹線の社会学」1:ニッポンのカイシャと新幹線

先日お世話になっている編集者の方と会う機会があり、前に「こんなに新幹線に乗っているので、次は『新幹線の社会学』を書きますよ」と言ったことが話題になった。私はその軽率を詫び、もともと鉄道ファンは多く、ウェブ上で広く、細かい情報と精力的なフィールドワークの成果を発信している人も大勢いるので、テキトーな本を学者面して出すと悲惨な結果にしかならないから、と言い訳した。

しかし帰りの新幹線(!)で反省した。情報の広さ、細かさや正確さと、学問の筋のよさは別の問題である。まず学問の筋のよさがあって、情報の広さ、細かさや正確さは後から努力すればいいのである。そんなことは、歴史学の蓄積があって、ほぼ定説が確定していた「都市民衆騒擾期」を書き直そうと思った若い頃に決心したはすだった。何より新幹線は「群衆の居場所」として社会学的に実に面白い対象だから、挑戦しない手はない。そこでまずスケッチとして、このブログに「新幹線の社会学」を断続的に掲載しようと思う。

ただ、岩手県でフィールドワークしていた10年前とちがい、最近は東海道新幹線しか乗っていないので、このスケッチはまず東海道新幹線「だけ」からはじめたい。

さて今週の帰りの新幹線は、新横浜発下り19時台発である。乗換口には新入社員とみられる男女があふれている。たぶん横浜近辺の大メーカー(昭和時代には熱海に全社員旅行をしていたようなカイシャ)の新人研修の帰りなのだろう。キャリーバックではなくスーツケースなので2泊以上のようだ。スーツはまだ借り物のようだが、スーツケースには使用感がある。自分用のスーツケースで旅行する経済的豊かさを、彼女ら彼らは経験済みなのだ。社会学者はよく学歴格差・学校格差を問題にするけれど(たしかに今年の卒業祝賀会で、経済的理由から袴を着ない女性学生は1人しか見かけなかった)、カイシャインの格差の方がより深刻な問題ではないか。

研修が終わり、親しい同期もできたせいか、彼女ら彼らは修学旅行の中学生のように騒々しい。中学生ならほほえましいが、スーツとスーツケースの大人ではほめられたものではない。長い行列を作って晩ご飯の弁当とお土産を買い、横に広がって、だらだらとホームに上がっていく。ここ十数年いつも3分乗り換えの私には縁遠い光景だ。

新幹線がすごいのは、乗換口にあふれていた彼女ら彼らが、いざ列車に乗り込むと1列車1500人の群衆に完全に飲み込まれてしまい、借りてきた猫のように大人しくなるところだ。その群衆こそは、彼女ら彼らの未来、ニッポンのカイシャのサラリーマンに他ならない。東京駅から乗るとすぐにプシュッとビールを開けて、弁当をかき込み、食べ終われば今度はパソコンを開けてエクセルかパワーポイントに没頭する(帰りですよ)。もちろん動画やゲームに没頭している人もいるにはいるが、年を経るに連れて減っていく。まさにブラック残業の場所なのだ。かくいう私も、病気する前はパソコンを開けていた。彼女ら彼らが大人しくなるのは、将来の自分の姿に怖じ気づいたからだろうか。それとも群衆に希釈されると、彼ら彼女らの「トモダチ力」が使えなくなるからだろうか。それともトモダチづきあいに疲れて、爆睡モードに切り替えたからだろうか。

いずれにせよ、「平日の」新幹線はニッポンのカイシャあっての場所であると同時に、その「臨界」でもある。その担い手たちの姿を見る限り、私にはニッポンのカイシャにあと10年も寿命があるとは思えない。そのあたりの話から「新幹線の社会学」をはじめてみたい。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 新企画「新幹線の社会学」, 私の「新しい学問」 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください