日本がまだ貧しかった頃:「昭和前・後期」という時代区分

阿古真理『小林カツ代と栗原はるみ』(文春新書)を読んでいたら、「昭和前期」「昭和後期」という時代区分を使っていて、ハテ?と思った。もちろんアカデミックではない本なので、何年何月を境に、といった厳密な定義をしているわけではない。私とほぼ同世代の、「昭和後期」生まれの著者が、あえてこうした区分を使う意味を想像するのが、ちょっと面白かった。

私自身は、未だに「昭和戦前期」(世界史的には「戦間期」)と「第二次大戦後」を1945年を境に使い、さらに後者を1960年までの「占領期」あるいは「戦後復興期」、1980年までの「高度経済成長期」、1995年までの「バブル期」に区分している。一方、著者はどうやらエゴセントリックな立場から、自分より上世代の生きた時代を「昭和前期」、自分たちの生きた世代を「昭和後期」と呼んでいるようで、それも平成世代からの視線(「それって、昭和のテイストですよね~」)を意識して(「昭和ってひとくくりにするな!」)使っているようだ。そう想像すると、何とか理解できる。エゴセントリックなのに、周りの空気を読まなければならないのは、まさに平成のテイストだ。

時代区分で忘れられない思い出は、四半世紀前の結婚式の打ち合わせの時、「新郎の衣装はテール・コートです」と言われたので、ふと「モーニングを着たいんですけれど」とリクエストしてみた。黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』の三船敏郎のイメージで、だ。すると係の人の返答が実に振るっていた。「お客様、それは日本がまだ貧しかった頃の習慣です!」。もちろん本番はテール・コート、ただし白とか銀とかではなくて黒の。日本がまだ貧しかった頃、この時代区分は出色だったと、今でも思う。係の人は、さらにこう付け加えた。「お客様は大学の先生ですから、これからお仲人で何度でも着られますよ!」。しかし、それから四半世紀、仲人はおろか、主賓としてすら教え子の結婚式に招かれたことは一度もない。

戦後といわなくなるのも、貧しさをいわなくなるのも歴史の粉飾で、それを中高年がやり始めると始末が悪い。こうした草の根修正主義に抗するのも、アカデミズムの1つの仕事だと思っている。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

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日本がまだ貧しかった頃:「昭和前・後期」という時代区分 への6件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    この本の著者の学歴を見て、ちょっと複雑な気持ちになる。私の世代で神戸女学院といえば、関西では小学校で一番できる女の子の行く学校だった。これが親世代の、私の母や伯母の世代だと、一番金持ちの家のお嬢様の行く学校だったのだ。子どもの頃、王子の(元の関学の校舎)YWCAのバザーに連れて行かれるのが苦痛だったことを思い出す。だから母は妹を受験させることをためらい、結局妹は祖母と同じ学校に行った。今どきのできる女の子はアメリカに留学しても、女子高なんかには行かないだろう。そんなんじゃ喰えないものね。余計なお世話と言われるだろうが、女学院に行っていなければ、もっと別の人生があったかも、と思う。私の小学校で一番できた女の子は、私が「女学院に行かないの?」と聞くと、「ずっと男の子と競争していきたい」と答えた。今省みると有頂天になってもよかったはずが、母親に支配し尽くされていた子どもの私は、何の性的感情も抱かなかった。

  2. 中筋 直哉 のコメント:

    てなことを言っているうちに、時代区分を使って未来を大予言!といった宣伝文句の本が出た。おおコワ!

  3. ito のコメント:

    わたしも「誰々さんは昭和の臭いがする」とか「昭和の風情を色濃く残した」といった言説を聞くたび、違和感を覚えます。まして「昭和は輝いていた」などという世迷い言には軽い××さえ抱いてしまいます。

    そもそも元号による時代区分は、死にはじまり死で幕を閉じるわけです。その本質を無視した議論はどうかと思います。

    まして昭和は、関東大震災の直後で、暗黒の木曜日に始まる世界恐慌の影響をもろにかぶり、昭和恐慌で農村が疲弊した状況で幕を開けます。

    わたしにとって「昭和の」という枕詞で連想するのは自力更生運動や、解釈が問題になった東北の村役場に掲示されていた「娘の身売りは当役場で」の写真です。

    もちろん彼ら/彼女らが戦後の一時期のみを指していることは自明ですが、少なくとも最初の20年間をなかったことにして欲しくありません。

    愚痴を失礼いたしました。

  4. 中筋 直哉 のコメント:

    itoさん、コメントありがとうございます。自力更生運動や東北農村の戦前期の状況については、私はまったく勉強不足で、ぜひいろいろ教えてください。10年くらい前社会調査実習で学生たちを岩手の村に連れて行くとき、山本嘉次郎監督の映画『馬』を見せてから連れて行きました。映画なので現実ではありませんが、少しでも学生たち歴史のリアリティを感じてもらいたいと思ったからです。

  5. かほう鳥 のコメント:

     かほう鳥です。*** 小さな昔話。子供の頃、親戚の家で素麺を食べた。麺つゆは酢と醤油。これがスタンダードだという。好物の苦手味!! ”砂糖は無しだ””裏家は入れるよ”と
    卓上話に私、絶句。・・・3年後。素麺は市販の濃縮つゆ。ケイザイセイチョウは味まで変えると驚いた。嬉しかったが、ビンを渡しあったあの味はムカシの味になってしまったんだと感じた。ジャリン子が実感した東北農村の変化である。この年を高度経済成長の終わりとしていると数年前に気がついた。
     戦時期の家の話を上の代に聞いた。当然,曖昧な点もある。(盛りも?) 彼の祖父から聞いたという話まであった。戊辰戦争だった。(歴史実感!)
     映画は知らないのですが、夜の馬は2歳位の私には物凄い怖いものだった。表彰状もとった馬は、酢醤油素麺の時にはもういなかった。*** 長コメ お許しを

  6. 中筋 直哉 のコメント:

    かほう鳥さん、コメントありがとうございます。おっしゃる通り、日頃の食事の変化は、振り返ると本当に過激なまでのものがありましたね。ウチなんかも、子どもの頃なんであんなにたくさん卓上「味の素」を何にでもかけていたのか・・・。絶対今でも舌の感覚おかしいと思います(泣)。盆参りの田舎にはまだ黒い牛がいて、おそるおそる箒で鼻をくすぐって悪戯したのを覚えています。もうどこの農家にも軽「トラ」はいても、牛も馬もいませんよね。

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