やはり歴史社会学はやめた方がいい:職場の会議から

先日職場の「将来構想」のための会議で、私より5年以上後に採用された同僚が「昔はこうだった」と言い出して、あれあれ、と思った。すると、今度は私より5年以上前に採用された同僚が別の点で「昔はこうだった」と言い出したが、それは明らかに事実ではなかった(日付のついた事実なので容易に反証できる)。2人ともとくに同僚たちを騙したいというような悪意はなかったと思うけれども、否ないだけに、やはり歴史を持ち出すのは危険だ。

仮に日付と場所がついていて、皆が納得できる事実であっても、歴史を持ち出すだけで、現在を拘束してしまう。とくに成功譚がいけない。成功したのはそれ以前の経緯とその当時の偶然的環境の結果なのに、経緯も環境も違う現在を、成功という名の麻薬で堕落させてしまう。結果私たちは何のチャレンジもできなくなってしまう。

いっそのこと「昔話禁止令」でも出せばいい。その意味で、現在を歴史に安直に結びつけてしまうような歴史社会学も、やはり有害思想だと思う。

逆に、だからこそ本来の文献史学が必要なのだろう。かつて柳田国男は千葉徳爾に「昔は今とちがうんだよ」と諭したそうだが、そのちがいこそ当時の史料に自らの思考を徹底的に埋め込んで思考する文献史学者にしか体得できないことで(この点は脱フーコーの要点だと思う)、その成果を学ぶことを通して、かえって私たちは現在の歴史上固有の位相を感得できるのではないか。そして、現在を正しく把握することからしか、未来を構想することはできないのではないか。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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2 Responses to やはり歴史社会学はやめた方がいい:職場の会議から

  1. かほう鳥 のコメント:

    文頭3行...私が最近感じたことと、掠ったので。オバサンの感覚です。
    少し前 新聞に‘2分の1成人式‘についての記事があった。当然、1月に成人式があった。前者は‘誰のため?‘後者は‘今年の今日は‘という。報道だから当然だ。
     けど、かぞえ15で元服とか、嫁入り歳か15~18とか(髪を変えた?)だった昔の若者達は、現代日本人に逢えたら五歳上と下の子孫たちにどんな思いを持つのか。昔がいいとは思わんけれど。おぎゃあと言ったら社会に参加。10年基準で主観的に「これからも生きていくぞ」と自覚して、20年基準で”この世の中”を生き、生活ることを考え実践していって欲しいと私は思う。
     歴史は真実。これを超過剰包装とか異常包装されたもんが、”昔”と捉えました。

  2. 中筋 直哉 のコメント:

    かほう鳥さん、コメントありがとうございます。私も「2分の1成人式」の記事読みました。何でそんなことやっているのだろうと、つねづね疑問でしたが、読者の反応がかなりネガティブだったので、驚きました。現代の学校の難しさを感じます。

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