東京の東:江東区砂町界隈を彷徨う

都心での仕事の合間に、ふと思い立って東西線に乗り、まず浦安で下りて浦安市の郷土資料館を観、帰りに南砂町で下りて砂町銀座を歩いてみた。

浦安は大学院生の時、91年に調査実習で訪れて以来だが、その時はまだ郷土資料館はなかったように思うし、私の担当街区は新浦安の高級住宅地だったので、本で読み、川島雄三監督の映画でも観た山本周五郎『青ベか物語』、あるいは山田洋次監督の『男はつらいよ 望郷篇』の痕跡をたどることはできなかった。ただし時間を見つけて貝剥き屋の並ぶ通りを歩いたような記憶があるのだが、今日それがどこだったかは全く思い出せなかった。でも、駅から郷土資料館まで境川沿いの風景は、東京圏屈指の風情だと思う。海沿い、運河沿いの町で育った私は、歩くだけで涙腺が刺激される。

帰りの東西線の車中にはインド系の人が多い。葛西にインド人街があることは、先日もETVで取り上げられていたから、先入見でそうみえるだけかもしれない。

砂町銀座は初見である。テレビでは何度も観たが、今日の午後もたいへんな賑わいだ。ただ私には付け揚げ屋が多すぎる。山本周五郎つながりで言うと(『季節のない街』)、かつて境川の都電の分岐点近くだったこの商店街に似合うのは、(菅井きんが揚げている)五色揚げ屋ではないか。

江東区は古い都営住宅から新しいタワーマンションまで、集合住宅の百科全書だ。そしてそれらは多摩ニュータウンとは全くちがう。多摩のような高低差のある曲線でなく、平坦な碁盤目の道路を歩きながら、私はそれらの住む人びとにただのひとりも知り合いも友人もいないことに気づいて動揺する。大学生、大学院生時代にも、勤めてからのゼミの学生にも、多摩ニュータウンの人はいても江東区の人はいなかった。だから、そこに住む人がどんな生活をし、どこで学び、どこで働いているのか、全く見当もつかない。

大都市というのはそんなものという気もするが、やはり東京をフィールドとする都市社会学者としては致命的ではないか。南砂町駅前のコンビニのベンチで、しみじみとした無力感に捕らわれていた。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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