時間通りに教会へ:新婚パーティの思い出

古書でJ.B.クック著『英国おいしい物語』(東京書籍)を見つけて、懐かしさで胸がいっぱいになった。著者は昔中目黒で「1066」(ノーマン・コンクェストですね)というレストランを開いていて、私たち夫婦はそこで新婚パーティを開いたのである。

バブル世代ではあるが、ただ派手というのは二人とも性に合わず、でもちょっとは派手にしたい私の希望で、イギリス料理のレストランで、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』を下敷きにしたパーティを開くことにした。もうどんなだったか忘れてしまったが、手書きのデザインで印刷した招待状を送り、記念品には銀座の伊東屋で小道具風の小皿を用意した。このブログ「群衆の居場所」に何度か登場してもらった、私の食いしん坊の師匠は演劇通でもあるので、企画全般手伝ってもらった。

著者のクックさんも、腕を振るってフルコースのディナーをセットしてくださり、でっかい手づくりのウエディング・ケーキは、ちゃんと切り分けて皆さんに持って帰ってもらった。「料理美味しかったでしょう」と得意顔が忘れられない。

パーティでは、連れ合いと連れ合いの友だちたちが「踊り明かそう」を歌い、私が「時間通りに教会へ」を歌った。原作通りなら新郎新婦がイライザとヒギンズ教授になるのだが、私が好きなのはドゥーリトル親父の方なので(そして師匠はレックス・ハリスン贔屓なので)、そうしたのだ。でもそれ以上に、ほんとうに「時間通りに教会へ」の気持ちだった。もう遊んでばかりはいられないな、と。スタンリー・ハロウェイに扮するために、シルクハットは無理だが、縞ズボンを買った(映画はシルバー・グレーのズボンだったかな?)。今でもときどき卒業式に穿いていく。

おまけで「君住む街で」(若い頃のジェレミー・ブレッド!)を友人の1人と一緒に歌ったら、彼は歌詞を諳んじていて驚いた。このロマンチストの友人は近年結婚し、充実した新婚生活を送っている様子。

もう25年近く前の話で、「1066」は今はなく、クックさんは難民支援のNGOの理事長を務められているそうだ。「美味しかった」イギリス料理、わが家のレシピにはシェパーズ・パイにちょっと手を入れたポテトグラタンが残っている。

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三宮センター街「たちばな」のたこ焼きをご家庭で:「ご家庭で」シリーズ第3弾

追試験の採点が終わり、春学期の仕事も一段落。机の周りに夏休みの宿題を積み上げつつ、「のぞみ冷凍庫」から解放されて、気持ちがゆったり。昼に久しぶりにたこ焼きを作って食べた。

前にも「故郷の味」という記事で取り上げたが、祖母から習ったわけではなく、「たちばな」で聞いたわけでもない。昔食べた感じを思い出しながら、自己流で作っているだけである。まず昆布中心でちょっと鰹の香りをつけた、冷めた出汁を1リットル。うち600ccにMの全卵3個を溶き、小麦粉を200gふるって入れ、よくかき混ぜておく。これでたこ焼き器2回、32個分。残りの400ccの出汁は、薄口醤油と味醂と米酢(ほんのちょっとだけ)で味付けして沸かし、三つ葉を散らして4人分の椀に注ぐ。「たちばな」はもっと卵が多かったはずだが、まあ素人ではこれが丸める作業の限界か?たこはもちろん明石の昼網ではなく、モロッコの冷凍。その分少し大ぶりに切って。たこだけだと単調というなら、スライスチーズとかボローニャソーセージとか。

家族はほとんどソースをつけて食べているが、私はやはり出汁に浮かせて食べるのが懐かしい。

さらに「故郷の味」シリーズで、別の夜は、砂糖甘いすき焼き。口唇期的退行というのだろうか。

 

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トクノスクールの特別授業:徳野貞雄先生に学ぶ

このブログで「徳野貞雄先生はすごい!」という記事を書いたら、人伝に先生の耳に入り、上京のついでに市ヶ谷に立ち寄ってくださり、ちょうど2時間、トクノスクールの特別授業を受けることができた。話ははじめブログで取り上げたNHKBS「どんとこい、人口減少」制作秘話から始まったが、すぐに『農村の幸せ、都会の幸せ』(2007,NHK生活人新書)に盛り込まれたトクノ社会学全般に広がり、刺激されっぱなしの2時間だった。

なかでも私が考えさせられたのは、『農村の幸せ、都会の幸せ』の副題が「家族、食、暮らし」と、家族が最初に置かれていることの意味を正しく受け取っていなかったことである。徳野先生は、理念や概念ではない実態としての家族が、世帯経営や地域定住を超えて広がる一方で、それらをダイナミックに支えていることにもっと注目すべきだとおっしゃる。この考え方はもともと社会学でも文化人類学でも当たり前であったものが(でないと、たとえば華僑の研究は成り立たない)、私たちは1920年国勢調査以降の近代日本の経験(世帯と家族を同一視してしまうこと、あるいは核家族化)に閉じてしまい、そうした見方を失っていたのだ。かの「T型集落点検」もこの理論的視野に基づく、(集落以上に)家族再発見のためのツールなのである。

ただ、私はこの点に年来異論がある。たしかに家族は実態として、あるいは結果的に支援と協力を生み出し、支える関係性ではあるが、一方で、とくに日本的近代家族においては、S.フロイトやA.アドラーがよく引かれるように、支配と競争のために動員される関係性でもあり、そのことが「家族を捨てていいですか」という結果をもたらしているのではないか。そこから自由にならない限り、どれだけ支援と協力が必要でも、私たち日本人はもう家族を創らないのではないか、受け継いだ家族も廃業してしまうのではないか、ということである。

もう1点感銘を受けたのは、徳野先生が「社会学はコミュニティの学である」と信じて取り組まれていることである。私なら「人間の集合態の科学的研究」みたいな腰の抜けた定義でお茶を濁すところを、彼はまっすぐに持続的協力の諸形態を(理念からではなく)現実から取り出し、(追認するのではなく)育成することを提唱される。先の家族論もその着手点なのである。たぶんそれは徳野先生の天稟であるだけでなく、彼の師匠の1人である、鈴木廣先生の薫陶にもよるのだろう。

しかし、私はやはりこの点にも異を唱えたい。コミュニティの外側、あるいは底には競争と無関心だけが漂っているのだろうか。否そこにはもう1つの社会、もう1つの関係が存在し、コミュニティさえも、それがあってはじめて成り立つのではないだろうか。実はこの主張も私のオリジナルではなく、タネは鈴木栄太郎である。『日本農村社会学原理』がながながと集団について述べたあと、急に「自然村の統一性とその社会意識」となるのはどうしてか、ということなのである。徳野先生の言葉を借りれば、消費者の四類型のなかの「どうしようもない消費者」にまず照準する社会学が必要だなのだ。

1つ同じブログのなかでお詫びしておきたい。先便で徳野先生の風貌を松本零士の「『男おいどん』のような、と記した。長く九州で活躍されていることからそう書いたのだが、徳野先生のご出身は大阪の貝塚である。それ以上に私は、先生の男らしい風貌がうらやましいな、と思っているのである。筋肉をむき出したり、才能を見せびらかしたりするのが男らしさではない。そんなことよりずっと豊かなところに、ほんとうの男らしさというのはあるのだと思う。

 

 

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銀座「若松」の豆かんをご家庭で

病気をしてからこの方酒の味が分からなくなり、もっぱら甘党で過ごしている。といっても酒を飲んでいた頃も、甘いものもしっかり食べていた。酒とトレードオフになっていたのはアイスクリームで、前は全然美味しくなかったが、最近は少し美味しいと思うようになった。

金のない大学院生の頃からのぜいたくで、梅雨が終わりかけて熱い日差しが地面を焼くようになると、銀座の「若松」の豆かんか、「鹿の子」の氷小豆(紫花豆が載っている)を食べにいくことにしていた。とりわけ豆かんが、東京らしくて好きだった。「若松」はけっこう男性客も多く、あんみつではなくて豆かんを頼む人も多かったのだ。

東京を出てから、氷小豆の方は自分で小豆を炊いて、自分で氷を削って食べてきたが、今年はいよいよ豆かんに挑戦だ。赤エンドウを買って、ついでに紫花豆も買ってそれぞれ炊き、寒天はサボって粉寒天で誤魔化して、黒蜜は波照間島の黒糖を煮溶かして、できあがり。あんこは炊いてあるので、花豆入りあんみつも可。白玉などは省略。「若松」には遠く及ばないが、できたてはけっこう美味しい。何よりえんどう豆も寒天も食べ放題!

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最初に読む社会学の本2:日本のものでは『現代日本人の意識構造』

社会学もまた他の社会諸科学と同じく輸入学問なので、基本文献が翻訳書になることは致し方ない。ただその後の展開を見ても、『自殺論』や『プロ倫』や『自由からの逃走』に匹敵するような理論の独創性、方法の工夫、人間探究の味わい、読者層の大衆性、をすべて兼ね備えた国内研究はそうは思い当たらない。社会学の世界遺産にエントリーできる本は、たぶん柳田国男『明治大正史世相篇』、戸田貞三『家族構成』、安田三郎『社会移動の研究』など、ごくわずかではないか。

しかし、私が心から推薦するのはただ1冊、NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造』(最新は第8版、2015年)である。40年間高水準のサンプリングと面接調査を続けてきたこと自体がもう涙が出るほど有難いのだが、それ以上にそれぞれの質問と選択肢が実によく考えられていて、ほとんど文句のつけようがない。なかでも最高峰は第6問、社会学者なら知らぬ者はいない、あの見田宗介の「生活目標」の質問である。人びとの生活を牽引する社会意識の中心的部分(見田のいう「価値意識」)を現在志向と未来志向、個人本位と社会本位の2軸4次元「快、利、愛、正」に類型化し、そこから選択肢文を演繹する。この4次元は羅針盤のようにそれぞれの現代を踏まえつつ、未来を指し示す。見田宗介といえば、私らの世代だと『気流の鳴る音』(ちくま文庫)だろうし、より若い世代だと『現代社会の理論』(岩波新書)だろうが、私は絶対「生活目標」である。いつかこれを超える質問文を作って調査してみたい。

ただ、1つだけいただけない質問がある。それは第8問「理想の家庭」の質問だ。4つの仮想的な(他人の)家庭のリストから1つを評価的に選ばせるもので、選択肢1(東さん)が「父親威厳、母親尽くす」で近代初期の夫唱婦随のイメージ、2(西さん)が「父親も母親も自分の仕事や趣味に夢中」で現代の平行な距離感のある夫婦のイメージで、この両極の間に、3(南さん)「父親仕事、母親家庭」の性別役割分業夫婦イメージと、4(北さん)「父親も母親も家庭重視」の家庭内協力夫婦イメージを配している。40年の結果は、4割近かった3が1割近くに減り、4が2割から5割に、2が1割強から2割強へというもので、それ自体は納得のいくものである。

私が納得できないのは北さんの選択肢文で、「父親はなにかと家庭のことにも気をつかい、母親も暖かい家庭づくりに専念している」というのは、どう読んでも協力ではなくて分業ではないか。一方の2は「父親も母親も、自分の仕事や趣味を持っていて、それぞれ熱心に打ち込んでいる」なので協力の意味を全く含んでいない。とすると、40年の変化は差別的分業から平等的協力へ、ではなくて、金をめぐる差別的分業から心をめぐる差別的分業へ、それができないときはバラバラということなのではないか。最近見田先生はこの質問を読み解いて、「近代の矛盾の解凍」などと言われているが、私に言わせれば勘違いも甚だしい。安い電子レンジで解凍したら腐ってしまったということなのではないか。

気になるのは、73年の第1回調査のときに、なぜこの4つの選択肢文にしたのか、ということである。女性学の草分けのひとりで、この調査の設計者の1人である井上輝子先生は、どう考えておられたのだろうか。またその後、上野千鶴子や江原由美子といったフェミニズムのお歴々が、どうしてこの質問文の修正を要求しなかったのかということである。

このことは、学部の演習で学生たちとこの本を読んでいるときに気がついた。学生たちも私の疑問を理解してくれたと思う。大事なことなので、もう少し事情を探究してみたい。

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最初に読む社会学の本は?:朝日新聞7月11日朝刊の記事から

朝日新聞7月11日朝刊34面「文化・文芸」欄に「岩波文庫90年」の連載記事の中編が掲載されていて、生協書籍部調べの「東京大学駒場キャンパスで売れている文庫ベスト10」という表が付されている。驚いたのは、M.ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が8位に、E.デュルケームの『自殺論』が10位に入っていることだ。他に社会科学の古典はない(文学の古典はG.オーウェルの『1984年』だけ)。ダメじゃん、後輩たち。2つとも教科書指定でしょ。それも買わないとできない宿題を出しているんだ、きっと。出している人をよく知っているので言いにくいけれど、こんなかたちで古典に、社会学に出合うのは幸せでない。きっとこの国のエリートたちは、社会学をルソー的な強制を許すような学問と誤解したまま社会に出て行くのだろう。

ではお前はどうかというと、私は300人規模の選択科目「市民運動論」のリポート課題としてマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』を読ませている。もちろん批判的に読んでもいいし、興味をもって読んでもいい、いずれにせよ20世紀の世界にもっとも影響力のあった本だと思って読んでほしい、と言っている。幸いと言うべきか、「泣いて読む」学生はいない。

私も最初に読んだ社会学の本は抄訳の『自殺論』だったが(同じ駒場の900番教室で折原浩先生から紹介されたのだが、けっして強制ではなかった)、最初に読むことを勧めるのは『自殺論』でも『プロ倫』でもない。E.フロムの『自由からの逃走』である。フロムは社会心理学だって言ってるぞ。でも、今の社会心理学はもう全くフロムのようじゃない。このブログで言う、ヒューマン・ネーチャー学派になり果ててしまった。正直に言って『自殺論』も『プロ倫』も前世紀の遺物だが、『自由からの逃走』は、たぶんR.ベネディクトの『菊と刀』やD.リースマンの『孤独な群衆』とともに今世紀にも耐え得る研究だ。何より人間そのもの、さらには自分について反省するきっかけになる。自分について考えることと社会について考えることが一緒に深まっていくところが、社会学の第一歩であり、到達点でもある。

しかし、『自由からの逃走』は新訳なく、文庫もない。旧訳の日高六郎訳は、北川隆吉先生いわく「日本で一番売れた社会学の本」だったそうだが、今は『ナントカ社会学』に抜かれてしまっただろう。唯一無二のフロムの専門家、出口剛司東大准教授、ぜひ新訳と解説お願いしますよ。

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遙かなる有賀喜左衛門:本郷和人『新・中世王権論』を読む

呉座勇一『応仁の乱』が巷に流行っているそうなので、天邪鬼の私は、本郷和人『新・中世王権論』(文春学藝ライブラリー,初版は2004年)を読むことにした。当今の中世日本史学の、とくに文献史学の権威(東大史料編纂所教授)の手になるもので、それらの良さを存分に堪能できる。奇を衒わない史料を用いた、精密な論証は非常にスリリングだ。が、読みながら、私はずっと既視感に囚われていた。

この話何度も読んだことがある・・・。もちろんパクリではないし、師弟関係的としてももう全く関係ないだろう。でも読んでいる間中、私が学生の頃愛読した、中村吉治の一連の作品、たとえば『武家の歴史』(1967年)や『家の歴史』(1978年)、そしてその理論的源泉である有賀喜左衛門の文章が頭に蘇ってきた。それはたぶん、日本農村社会学の末の末のどん詰まりに連なる私にしか起こらない、誤読かもしれない。

でももし、それが単なる誤読でないのなら、この本もまたかつて盛んに論じられ、今や全く忘れ去られた「日本社会論」の系譜に連なるものといえるのではないか。それはこの国の社会構造(というものがあるのならば・・・)をデータ(史料)内在的に分析していく知の営みである。有賀や中村にはじまり、福武直『日本社会の構造』、中根千枝『タテ社会の人間関係』、村上泰亮ほか『文明としてのイエ社会』などと花開いた、その営みは、たしかに日本社会の「文化の型」が近世江戸ではなく、鎌倉のイエ、室町のムラ・マチというようにいずれも中世に形成されたことを主張していた。もっとも中世=近代起源説は、M.ウェーバーの『経済と社会』にも見られる議論のパターンであって、歴史を集団主義の内発的進化と見なす場合(データ内在的だと、どうしてもそうなってしまう)、採りやすい立場なのかもしれない。

有賀や中村と本郷が異なるのは、データというときに、有賀や中村の心にはふるさとのイエやムラ(信州辰野の平出ムラ)があったのに対して、本郷の頭には文献だけがあることだろう。また有賀にはデュルケムの、中村にはマルクスの比較社会学の素養があったのに対して、本郷は中世日本史学の伝統にのみ従っていることだろう。もっとも、そうしたことは両者の学問的能力とは関係なく、両者を隔てる半世紀以上の時間の流れがもたらしたものにちがいない。

しかし、有賀喜左衛門といっても、もう社会学者でも、誰で何をしたひとか、ほとんど分からなくなってしまっているだろう。下手をすると、江戸時代の国学者ですか?ってなことになってしまいかねない。私たちの世代までは、まだ中野卓先生にしろ北川隆吉先生にしろ、直接の教え子で有賀のイメージを明確に伝えられる人に教えてもらえたが(私が教えてもらったのは、東京教育大から慶應義塾にかけての愛弟子だった米地實先生である)、もうそれは不可能だ。さらに富永健一先生以下、有賀を頭ごなしに否定する議論ばかりが検証もされないままに定説になっていくと、この日本社会学の至宝、鶴見和子よりずっと本質的な意味で比較社会学的基礎を持つ内発的発展の理論は、まるで「失われた聖櫃」のように、図書館の閉架書庫の奥に埋もれてしまうだろう。

そうしないために、有賀喜左衛門にもう一度取り組んでみたい。本郷の本を読み終わって、深くそう感じたのだった。

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東京の東:江東区砂町界隈を彷徨う

都心での仕事の合間に、ふと思い立って東西線に乗り、まず浦安で下りて浦安市の郷土資料館を観、帰りに南砂町で下りて砂町銀座を歩いてみた。

浦安は大学院生の時、91年に調査実習で訪れて以来だが、その時はまだ郷土資料館はなかったように思うし、私の担当街区は新浦安の高級住宅地だったので、本で読み、川島雄三監督の映画でも観た山本周五郎『青ベか物語』、あるいは山田洋次監督の『男はつらいよ 望郷篇』の痕跡をたどることはできなかった。ただし時間を見つけて貝剥き屋の並ぶ通りを歩いたような記憶があるのだが、今日それがどこだったかは全く思い出せなかった。でも、駅から郷土資料館まで境川沿いの風景は、東京圏屈指の風情だと思う。海沿い、運河沿いの町で育った私は、歩くだけで涙腺が刺激される。

帰りの東西線の車中にはインド系の人が多い。葛西にインド人街があることは、先日もETVで取り上げられていたから、先入見でそうみえるだけかもしれない。

砂町銀座は初見である。テレビでは何度も観たが、今日の午後もたいへんな賑わいだ。ただ私には付け揚げ屋が多すぎる。山本周五郎つながりで言うと(『季節のない街』)、かつて境川の都電の分岐点近くだったこの商店街に似合うのは、(菅井きんが揚げている)五色揚げ屋ではないか。

江東区は古い都営住宅から新しいタワーマンションまで、集合住宅の百科全書だ。そしてそれらは多摩ニュータウンとは全くちがう。多摩のような高低差のある曲線でなく、平坦な碁盤目の道路を歩きながら、私はそれらの住む人びとにただのひとりも知り合いも友人もいないことに気づいて動揺する。大学生、大学院生時代にも、勤めてからのゼミの学生にも、多摩ニュータウンの人はいても江東区の人はいなかった。だから、そこに住む人がどんな生活をし、どこで学び、どこで働いているのか、全く見当もつかない。

大都市というのはそんなものという気もするが、やはり東京をフィールドとする都市社会学者としては致命的ではないか。南砂町駅前のコンビニのベンチで、しみじみとした無力感に捕らわれていた。

 

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社会学は何でないか:亀田達也『モラルの起源』(岩波新書)を読む

このブログでも言及したことのある岸政彦氏がより若い同業者と書いた『質的社会調査の方法』(有斐閣)は、近頃では出色の社会調査の教科書だと思われ、学生によく勧めるのだが、1点いだたけないところがある。それは「社会学って何?」という世間の問いに、社会学者である著者ですら一瞬とまどうというくだりである。

中高時代はもちろんのこと、下手をすると教養課程でも社会学を学ばず、専門課程の2年だけで、それも必修を順番に積み上げるスタイルのカリキュラムでない学部や学科(ウチのことです!)で学んだ学生が「社会学って何?」と聞かれて答えられないのは当然だ。また、駆け出しの若手が、富永健一先生のような「ザ・社会学」(あくまで本人の主観・・・笑)に反発して、「社会学ってよく分からない」というのも分かる。しかし、四半世紀近く社会学をやっていて答えられないのは、ちょっと問題ではないか。そんな先生に教えられたら、学生が答えられないのは、やはり当然だ。

ただし、自分のやっていることに懐疑的なのは気持ちが若い証拠で、岸さんは若く、彼とほぼ同い年の私は、富永先生と同じく老人(老成ならいいのだが・・・泣)だからかもしれない。

岸さんはその直後に魅力的な回答を用意していて、いわく「社会問題を調査によって研究する学問」。社会調査の教科書なのでちょっとあざとい感じもするが、この「調査によって」という点は、かつて見田宗介先生が「引き出されたデータ」という卓抜な表現で示されたように、社会学の大きな(第一ではないが)特徴だと思う。しかし、対象を社会問題に限るのは賛成できない。わが学部、わが学科、わが大学院は、故舩橋晴俊先生がその信念を私たちに強制されたので、非常に窮屈だった。舩橋先生亡き今、少なくとも私は非常に自由だ。

私自身の定義はごく簡単で、人間の創り出す集合的現象(社会的事実)を科学的手続きに沿って理解する学問、というものである。「集合的」というのは「集団」ではないところがミソで群衆や闘争も入るし、「科学的手続き」というのはあくまで手続きに過ぎず、ヒューマン・ネイチャー諸学派のように(チョムスキーの項に書いたように)、人間を科学的思考の操作対象に貶めるようなことは決してしない。逆に積極的な意味としては、宗教や民俗による先験的決めつけから自由で、結果未来に向かって自由になれますよ、ということなのだ。

さて、いくら何でも前置きが長過ぎだが、亀田氏の本である。冒頭「実験社会科学とは?」という項に「経済学、心理学、政治学、生物学など、異なるバックグラウンドをもつ研究者たちが結集し、『実験』という共通の手法を用いて、人間の行動や社会の振る舞いを組織的に検討しようとする」と書かれていて、なるほど「社会科学ではあっても社会学ではないのね」と納得する。もう分家して半世紀以上にもなるのに、隣の本家にたてつくのはちょっと残念な感じもするが、それ以上に、この分野の並べ方が面白かった。ふつう「生物学、心理学、経済学、政治学」かその逆だろう(エンゲルス的?)。もしかするとテキトーか?。でもこの集合そのものはテキトーではなくて、まさに私のいうヒューマン・ネイチャー諸学派、人間を動物の一種と見なす諸学派なのである。だから、人間は行為ではなく行動として把握され(M.ウェーバーの古典的定義、あるいはA.トゥレーヌの実践的定義)、社会は共生の構造として理解されるのではなく、振る舞い=パフォーマンスで計られるのである。

その後の展開は、著者が私より年長のせいか、とくに新しく勉強になることはなかった。唯一取り上げられるモラルの古典がJ.ロールズなんて、バブルっぽくて懐かしいくらいだ。今どきならやはりカントでしょう。実験の提唱も新しさを感じない。社会学者としては実験してもいいけど、理解すべき現実の社会的事実の方が圧倒的に多くて、実験なんかしているヒマはないでしょう、まず調査したら?と言いたい。

そういえば、最近読んだ、題名を忘れた経済学の新書が、これからの社会科学はRCT(ランダマイゼーションによる比較対照実験)だと言っていて「アホか!」と思った。RCTが使えるテーマもあるかもしれないが、少なくとも社会学では非常に少ないし、研究倫理上まずいことが圧倒的に多い、さっきのパフォーマンスと同じ差別的な発想だ。

もっとも、もし社会学がヒューマン・ネイチャー諸学派に乗り遅れているのだとすると、私は心安らかでいいのだが、利害集団としては「諸学問の争い」のなかで圧倒的に不利かもしれない。また「連帯を求めて孤立を恐れず」のような独りよがりなところが、社会学にはあるかもしれない。

学部の学生たちには、社会学とは「反・経済学」であると教えている。経済学で幸せになれるならそれでいいけれど、多分そうではないでしょう。だから経済学と逆の考え方で社会を捉える社会学が必要なんですよ、と教えている。いや、決してマルクス主義じゃないですよ。『共産党宣言』をリポート課題にしてるけど(笑)。

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やはり歴史社会学はやめた方がいい:職場の会議から

先日職場の「将来構想」のための会議で、私より5年以上後に採用された同僚が「昔はこうだった」と言い出して、あれあれ、と思った。すると、今度は私より5年以上前に採用された同僚が別の点で「昔はこうだった」と言い出したが、それは明らかに事実ではなかった(日付のついた事実なので容易に反証できる)。2人ともとくに同僚たちを騙したいというような悪意はなかったと思うけれども、否ないだけに、やはり歴史を持ち出すのは危険だ。

仮に日付と場所がついていて、皆が納得できる事実であっても、歴史を持ち出すだけで、現在を拘束してしまう。とくに成功譚がいけない。成功したのはそれ以前の経緯とその当時の偶然的環境の結果なのに、経緯も環境も違う現在を、成功という名の麻薬で堕落させてしまう。結果私たちは何のチャレンジもできなくなってしまう。

いっそのこと「昔話禁止令」でも出せばいい。その意味で、現在を歴史に安直に結びつけてしまうような歴史社会学も、やはり有害思想だと思う。

逆に、だからこそ本来の文献史学が必要なのだろう。かつて柳田国男は千葉徳爾に「昔は今とちがうんだよ」と諭したそうだが、そのちがいこそ当時の史料に自らの思考を徹底的に埋め込んで思考する文献史学者にしか体得できないことで(この点は脱フーコーの要点だと思う)、その成果を学ぶことを通して、かえって私たちは現在の歴史上固有の位相を感得できるのではないか。そして、現在を正しく把握することからしか、未来を構想することはできないのではないか。

 

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