実践の社会理論とは:山本馨『地域福祉実践の社会理論』に寄せて

山本馨『地域福祉実践の社会理論』(新曜社,2018)を出版社より恵贈された。山本氏は私たちの社会人大学院の修士課程を修了した後、上智大学の大学院で、福祉社会学の第一人者藤村正之先生の下で学び、博士号を取得した。その博士論文である。大学院に入学から現在に至るまで本職の県庁職員をやめず、また表千家の茶道教授でもあるというだけで、研究を続けることに注がれた努力の大きさが想像されよう。内容も、著名な宗教思想家が「読んでいて胸が熱くなる研究書」と帯で激賞しているとおり、福祉分野に限らず、大きな知的インパクトを与える可能性を持っているにちがいない。

私は、彼が私たちの大学院にいたときの最初の1年間だけ指導し、また博士論文審査の副査でもあり、さらに新曜社に出版を斡旋したので、公平な書評子とは言えない。この本についていま語れることは、ただ1点だけである。それは「実践の社会理論」とはどのようなものであり、どのような可能性と課題を持っているのだろうか、ということである。私は、師匠の似田貝香門先生の熱心な指導にも関わらず、ついにそうしたセンスを持つことができなかった。だから、その点をこの本を通して考え直してみたいと思うのである。

私たちの知る社会学者のなかで、この問題に一番熱心に取り組んだのは、『人間解放の理論のために』(筑摩書房,1971)から『気流の鳴る音』(筑摩書房,1977)に至る、見田宗介(真木悠介)先生だろう。しかしオウム真理教事件の後、その取り組みを素直に受け取ることは難しい。似田貝先生は阪神淡路大震災復興への関与以降現在に至るまで一貫して実践の研究に取り組まれているが、私にはそれは社会理論というより倫理思想であるように思われる。福祉実践という点で、この20年間一番精力的に取り組んできたのは立岩真也先生だろう。しかし、立岩先生のお仕事も、社会理論というより「今私はこう考えている」といった思考上の実践の色が濃い。もちろんそこが立岩先生の魅力なのだが・・・。

この本の独特なのは、そうした身近な日本の先行研究でも、また社会運動論のような「いかにも」な研究でもなく、どちらかといえば静態的な古典の検討を通して「実践の社会理論」を構築しようとしているところである。このギャップがこの本の評価の分かれ目となるのではないか。

この本が現場志向の若い福祉社会学者たちや、現場で苦心している実践家たちにどのように受け入れられるのか。その過程は「実践の社会理論」という営み一般の可能性と課題を示唆することになるにちがいない。

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名古屋メシお菓子篇:鍋屋町通りの「ボンボン」

14年前に名古屋に越してきたとき、不動産屋さんは「ここはお菓子屋さんが多いのでいいですよ」と勧めた。たしかに近くに複数の洋菓子店があり、さっそく試してみたが、どこも私の好きな味ではなかった。甘さの効きが「甘い」のだ。お菓子ははっきりくっきり甘くしてほしい。実はこれは名古屋のお菓子全般に言えることなのではないか。銘菓「二人静」で有名な老舗和菓子店の味も、私には甘さが「甘い」。

そんなことを親しくなった高齢の名古屋ネイティブに愚痴ったら、「私らはずっと『ボンボン』だがね」と即レスされた。「ボンボン」は、先日推薦した「ポルテッツォ」にも近い鍋屋町通りの西詰にある。入ったことはまだないが大きな喫茶室も備えた、昭和の匂いの香しい老舗でである。創業は昭和24年というから、名古屋の洋菓子店では最年長ではないか。ちなみに鍋屋町通りは、創業慶長年間(!)の茶釜屋さんやら、創業弘化年間の和菓子屋さんやら、まだガラス引き戸の間口を持った、コーヒー焙煎屋さんやら、商店街マニア垂涎の通りである。そのなかでは「ボンボン」はまだ新参者なのかもしれない。

店内には2つの冷蔵ショーケースがあり、大きな方には今風の洋菓子が、小さな方には昔風の洋菓子が並べられている(でも、どちらもフランス菓子ではなく洋菓子)。小さな方のサヴァランが三番人気だったり、大きな方にクレームダンジューがあったり、もちろんモンブランは小さいの方に黄色いの、大きい方に黄色くないのである。小さな方なら、4つ買っても千円でお釣りが来る。1個五百円を超えるのが当たり前の、当世のフランス菓子とはちがうのだ。しかも材料が新鮮なので、嫌味がない。ただし甘さの効きは、やはり私にとってはやや「甘い」。

店内にいると、会社のお使い物とする大口の客が結構出入りするので、この店が夕暮れの骨董品ではなく真昼間の現役であることが分かる。この店を現役にさせている社会構造こそ、都市名古屋の魅力の1つといえるかもしれない。ねえ、河村さん!

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走るひとのからだは:社会学的思考の基礎6

ぼんやり考えごとをしながら桜咲く堤を散歩していると、前から市民ランナーが向かってくる。ああ嫌だな、と思う。狭い道を譲り合うことはけっしてなく、いつも歩いているこちらが譲らなければならない。そのうえカーブだと、つねにこちらが外周に避けなければならない。身体を鍛えるのなら大回りした方がいいはずなのに。そんなことをいつものように考えながら、すれ違いをやり過ごした瞬間、小さな考えが閃いた。

私は群衆研究を身体論によって基礎づけたいと願い、M.メルロー=ポンティを読んで考えてきた。それ自体は孤立的な身体(決して他の身体と溶解しない)が、身体と置き換えられない固さをもった建造環境に囲繞された空間内に大量に集合することが群衆なのであり、そのとき各身体は身体の集合性、すなわちもっとも根底的な(見田先生なら「根柢的な」)意味での「社会」を感受・触知することになるのではないか、というのが私の結論だ。こうした現象を、『群衆の居場所』では「身体の本源的対他相関性」と名付けたところ、ただ故藤田弘夫先生だけが、興味を持ってくださった(「 都市の歴史社会学と都市社会学の学問構造」『社会科学研究』57( 3・4),2006)

しかし、この現象の理解から自由、平等、博愛といった社会の理念までの理論的道程は非常に遠い。当時の私は、身体は集合的なのに精神が互いを孤立化、相克化させると考え、この道程を短絡してしまっていた。そう考えれば、社会学者はルソーのように「群衆へ帰れ」と叫ぶべきだ、ということになる。しかし、それでは身体の片方の側面しか見ていないのではないか、小さな考えとは、この疑問のことである。

走る人の身体は、その速度によって周囲の身体の集合性から離脱し、孤立性に向きあう。私のような運動音痴には、その孤立性は自らの無能を思い知らされるだけなのだが、逆に集合性の桎梏から解放された自由や可能性を感受する人も少なくないにちがいない。それ以上に、集合性からの解放は純粋な自己愛を起動させるにちがいない。それは、身体から独立した精神ではなく、(ホッブズのように考えれば)走る身体に随伴して生じるのである。

さらに走る人の身体は、再び身体の集合性に参入することで他の身体と競合し、優越する可能性も獲得する。ただし、走ることを競合、優越の手段と考えるべきではない。競合、優越は、走ることで「強化された」孤立性と自己愛の産物なのだ。

また、J.ダイアモンド風に言うなら、走ることの獲得は、鉄や、鉄を用いた銃のような武器よりも本源的な、「第三のチンパンジー」の本質(ヒューマン・ネイチャー)ということになるのではないだろうか。

昔萩原朔太郎は「およぐひとのからだはななめにのびる」(「およぐひと」『月に吠える』1917年)と歌った。群衆と都市の詩人となる前、郷土の蔵の中でひたすら自己愛に耽っていた朔太郎の詩精神が十分に充填された作品である。詩人の身体は、水という絶対的な建造環境によって他者から完全に隔離され、競合や優越に汚されない自己の完全性に没頭する。しかし、その身体は「死」に漸近していくばかりではないのか。エロスではなくネクロフェサリー(屍体愛)に過ぎないのではないか。

走る人の身体は、他者の身体と競合的に関わり合いながらも、自己愛に閉塞する。しかし、それは自己の「死」から逃走しつつも、結局は自己の「死」に向かい合わざるを得ない悲しい営みなのではないか。では群衆はそうではないのか。群衆になれば自己の「死」を免れられるのか。結局私は『群衆の居場所』の出発点に、ぼんやりした考えに戻っていったのだった。

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美味しい店を見つけるよろこび:名古屋・泉の「ポルテッツォ」

美味しい店をいくつか知っているといっても、尾山台の「オー・ボン・ビュータン」も西浅草の「ストロバヤ」も、どれも学生時代の食いしん坊の師匠の受け売りで、自分で見つけた店はほとんどない。そのうえ名古屋から遠距離通勤かつ子育て中は、美食を楽しむ余裕は(も)全くなかった。だからいつも「〇〇の味をご家庭で」になってしまっていた。

新聞の地方版に市内で一番早く桜が咲く通りが紹介されていたので、近くに用事があったついでに歩いてみた。市営地下鉄桜通線高岳(たかおか、と読みます)駅近く、オオカンザクラとカンヒザクラが植えてあるのだが、まだ咲いていなかった(今は満開だそうです)。早々に切り上げて帰ろうとすると、イタリア料理店の看板が目についた。元来「花より団子」なうえ、こうしたときに妙な嗅覚が動き出す。「ここは旨そうだ」。私の「旨そう」は、味に加えて私の居心地に合っていることも含む。食事時ではなかったので、店名だけ覚えて、帰宅してからウェブで調べてみた。

驚いたことに、その店は前の自宅の近くのパスタ屋が移転したのだった。パスタ屋時代、まだ名古屋に引っ越したばかりの頃に家族で数回訪れたものの、外食しない家庭になってしまったために縁遠くなった。最近車でそばを通ったら無くなっていたので、「潰れたんだな」と思っていた。

数日後、子どもを連れてランチに出かけてみた。前菜のキッシュ風の菜花のオムレツを一口食べた子どもが思わず「美味しい」とつぶやく。「そりゃ、パパの作るへたれオムレツとはちがうよ」と私。霧島産イノシシのリエットもレンコダイ(小さな切り身なのでタイノエはいない)のエスカベッシュも、あっという間に平らげた。プリモは生海苔(これは浜名湖の春の味覚)と干鱈のリゾット、セコンドはエゾジカのハンバーグで(ジビエを看板にしている)、どれも無理のない、整った味と盛りつけだ。ここを誉めてはいけないのかもしれないが、デザートが非常に個性的で、子どもの栗とリンゴのケーキも、私の凍らせたクレマ・カタラーナも、それだけで食べにきたいくらいの面白さだった。

食後にオーナーシェフがテーブルに挨拶に見え、移転の経緯をうかがった。もらったカードにはこの道に入って30年目で新規出店したと書いてある。ああ、同じ世代、同じ思いだなと思う。

名古屋市東区泉二丁目の「ポルテッツォ」というお店です。名駅からでも30分もかかりません。お勧めします。

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30年ぶりのアゴラ劇場:演劇ユニット「ガレキの太鼓」復活公演を観る

先便で取り上げた、私のゼミ出身の海老根理君が出演する、演劇ユニット「ガレキの太鼓」復活公演『地上10センチ』(脚本・演出:舘そらみ)を、今回は私1人で観た。場所は東京駒場のアゴラ劇場、たぶん大学のクラスメートの卒業公演以来30年ぶりだ。それより1階にあって、東大駒場寮時代ひいきにしていた町中華の「小紅楼」が懐かしい。授業をサボって「中将湯」で熱い一番風呂を近所のお爺さんたちと浴びた後、「レバ煮込み定食」(ニラレバではなくて)をよく食べた。しかし店は(中将湯も)今はなく、劇場の待合スペースになっている。

劇の方は、葬式をテーマに複数の視線と声を交錯させることで、観客を共感させながら思索に導くスタイルの作品で、笑いも泣きも適量に盛り込まれていて、楽しめた。海老根君は演者の中心で、かつ年齢のせいか、やや他の役者より落ち着いた「お父さん」的な感じだったので、役の軽さとちょっとだけミスマッチな感じだった。もし脚本家が海老根君にあてて書いたのなら、またちがった筋書きになったかもしれないな、と思ったが、これは彼を少ししか知らない私の偏見で、実際は海老根君のしっかりあてて書かれていたのかもしれない。

ただ、終始劇の中心にいた海老根君が、終幕で曖昧な存在になってしまうのは、納得できなかった。私は何かカタストロフィックな結末が彼を見舞い、彼がそれをどう表現するかを期待して見ていたので。カタストロフィックな結末は訪れるが、それは彼の身にではなかったのだ。

葬式というテーマから、黒澤明監督の『生きる』とか、砂田麻美監督の『エンディング・ノート』とか、いろいろ思い出されたが、一番重なり合ったのは、大好きな落語の『片棒』だった。比べてみると、『片棒』がただ笑いに向かっていくのに対して(そりゃあ、落語だから)、この作品は笑いつつも思索に向かっていく。退屈な思索をナリワイにしている私が言うのも何だが、笑いのなかに思索を埋め込むこともできるのではないだろうか。

学生時代はちょうど小劇場ブームで、天の邪鬼の私は遠巻きに見ているだけだったが、年寄りになってから小劇場に目覚めるというのも、なかなかオツなもんですな。また、出かけよう!

 

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7年目の3月11日:佐倉統東大教授の書評に怒る

7年目の3月11日、私は研究者としても生活者としても震災復興にまったく関わってこなかった。だから今日言えることはほとんどない。しかし朝、寝ぼけまなこで新聞のある書評を読んいたら、怒りがふつふつと湧いてきた。

それは朝日新聞3月11日朝刊(第13版)第12面の、佐倉統東大教授による村中璃子『10万個の子宮』およびP.ブルーム『反共感論』の書評である。前者は反「子宮頸がんワクチン」運動の非科学性を批判する、医師かつジャーナリストの本で、後者は一般人の情動的な共感の限界を指摘し、専門家の客観的で冷静な判断の必要性を述べた心理学の本だそうである。両者を肯定的に紹介した上で、進化生物学者の佐倉は、そんなことは250年前にアダム・スミスが指摘していたことなのに、人間は進歩していないと嘆いてみせる。

私の怒りの原因は、東大のお偉い先生が、他でもないこの日に、近代科学の絶望的失効ではなく、虚妄の優位を脳天気に述べ立てていることにある。7年前東大のお家芸だった、地震の予知物理学も、防災の土木工学も、原発の安全神話もすべて失効したにもかかわらず、佐倉のお仲間たちは恥知らずにもメディアに露出し続け、虚偽の物語を語り続けていたし、今も語り続けているのではないか。それを誰よりも先に批判しなければならないのが「科学技術社会論」なのではないのか。その批判の倫理的根拠は、他でもない「社会」、すなわち佐倉が馬鹿にしている、疑似科学に踊らされ、情動的共感しかできない私たちではないのか。

自分が学んだ母校が昔も今もこんな風であることに、私はひどく傷つく。あんな学校行かなければよかったとさえ思う。もっともそうなると、連れ合いにも出合えず、今の幸福もなかったので、この絶望を転轍して、そうではない生活、そうではない学問、そうではない思想をゆっくりと、しっかりと創り上げていきたいと思う。

ところで、アダム・スミスはそんなこと言っていたっけ?。シンパシーに関する議論は全然ちがう筋書き(情熱的な他者との合一でなく、冷静な他者への理解だけで社会は成り立つ)だったように覚えているが・・・。遠からず『道徳感情論』を読み直してみよう。

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「時空を超えて」居眠り:大好きなM.フリーマンの番組終わる

NHKETVで放映されてきた『モーガン・フリーマン 時空を超えて』(原題は Through the Wormhole )が昨夜で最終回。家族でおしゃべりしていて見損ねたので、録画を見直そう。

というと、子どもたちが笑う。「お父さん、いつも見ながら居眠りしてるじゃない。」その通りで、いつも途中からうとうとしてしまう。いろいろ言い訳を考える。「吹き替えの人の声が単調なんだよ。後ろで聞こえるフリーマンの地声の方が詐欺師っぽくて面白いのに」「学説ばかり羅列するからだよ。ちゃんと実例を、喩え話ではなく衝撃映像で見せればいいんだよ」「ストーリーがだんだん絞られていくのではなくて、だんだん拡散していくからなんだよ」。何だ、これじゃあまったく俺の講義だよ(笑)。

しかし、実は私は居眠りが大切だと思っているのである。それはただ退屈だからではなく、集中の結果として生じてくるので、話は忘れてしまっても、何かの印象が残っていることが多いからだ。そしてそれは次の思考の基盤になっていくのである。学生時代に読んだ吉本隆明の『共同幻想論』は、柳田国男の『遠野物語』を論じるのに「入眠幻覚」という独特な用語を使っていたが、私たちの大脳は、居眠りの瞬間何かをポジティヴにやっているのだと思う(フリーマン風なら、「私たちの脳はただサボっているだけなのでしょうか。法政大学の中筋直哉はそうではないと言います」となる)。

思い出した。黒澤明監督の『七人の侍』でも『天国と地獄』でも、木村功は肝腎なところで居眠りしていたなあ。「慰安旅行じゃないんだぜ!」(加藤武)

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「コミュニティ・トンネル」を抜けて:子どもの中学卒業式の感慨

今日は下の子の中学校の卒業式。子どもの成長への感慨とは別に、しみじみこれで「コミュニティ・トンネル」を抜けたな、という感慨が深い。「コミュニティ・トンネル」とうのは業界用語でも私の商売用語でもなく、その間ずっとガマンしていたな、といった感じを込めた安直な造語である。

よほど高給取りで何でも金で買うのでない限り、共働きで子どもができれば、保育園入園から中学卒業まで、コミュニティの一員でいないわけにはいかない。さまざまな団体や行事に動員されるが、親方は皆土地持ちで長く住んでいる人や昼間余裕のある人なので、いつもペコペコしながら子方の地位に甘んじなければならない。それでも子どものためであり、また同じ境遇のお母さん、お父さんと連帯感も生じてくるので、まったく嫌々、でもなかった。しかし、一度自由を知った人間にはコミュニティは桎梏でしかないと思う。

もっとも子どもを私学にやったり、公立でも中学校を出てしまえば、もうコミュニティに関わるきっかけはほとんどない。後は一斉清掃と回覧板送りだけの幽霊町内会員だ。少なくともいろいろな行事で学校の体育館に集まるのはこれで終わりだなと思うと、少しだけさびしい気持ちになった。

ただし、もし子どもが障がいを持っていたなら、そんな呑気なことは言っていられない。一生懸命にコミュニティの雑用を引き受けていたあるお父さんは、「俺が死んでもダウン症のわが子がこの土地で生きていけるように」と言っていた。そんな覚悟のない私は、生きてけなくなったら出ていくだけ、位のいい加減さである。

地域社会学やコミュニティ論を教えなくなり、コミュニティ・トンネルも抜けてしまった私。これからどうやって市民として考え、生きていこう。そんなことを考えながら、学校の前の坂を下りてきた。

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「心に響く」社会学とは:社会人大学院ゼミの同窓会での気づき

4月で18年目になる社会人大学院のゼミの修了生が集まって勉強会と懇親会をやるので、出席した。勉強会の方は、研究者になった2人の方の研究報告の後、余興で私が古市憲寿『古市君、社会学を学び直しなさい!!』(2016,光文社新書)の書評をやった。

そのなかで、私が「この本に出てくる、私のよく知る先輩、同輩たちの社会学はどれも『子どもの遊び』のように感じられる」と言ったら、出席者の一人が、「私にとって社会学者の言葉は『心に響く』ことが多い。さらにその言葉がしっかりした学問に裏付けられていることが魅力だ」と異見を述べられた。私はハッとして、「例えば上野千鶴子先生とか・・・」と水を向けると、彼女は「そうですね」と答えた。そのとき、私は目の前の風景がガラッと変わるような気がしたのである。

まず言い訳をしておくと、「子どもの遊び」は言葉足らずで、今省みれば「のび太の私からみたスネ夫のラジコン」というべきだった。よくも悪くも大人になった私は、もうどんなに高価で精巧でもラジコン(見田宗介先生)を買わないが、童心に帰れば、それは羨望、嫉妬の対象以外の何ものでもない。スネ夫の方もそれが狙いなのである。さらに脱線すれば、私のドラえもんは、未来ならぬ過去からやってきて、スネ夫の知らない骨董品(古典)を出してくれる、故北川隆吉先生だった(容貌もソックリ・・・北川先生ごめんなさい)。

上野千鶴子先生のエッセイでも専門的研究でも、私はほとんど「心に響いた」ことがない。というか、私は社会学も他の学問も「心に響く」ものとして読んでこなかった。もちろん、良質な社会学書が描き出す社会の真実と深刻さに惹かれることはある。あるいは描き出す社会学者の知的廉直やアイデアの奇抜さに憧れることはある。しかし、「心に響く」ような親密さを学問から得ることはなかったし、期待してもこなかった。ただ、もしそうしたことがあるのなら、大多数の読者にとって、たしかに社会学には他の学問にはない魅力があるといえるだろう(半世紀前までなら哲学だったかもしれない・・・)。

知っていると思い、教えてきた社会学が、実はぜんぜん知らないかたちで社会に流通してい、私はそこに関わっていない(多少は関わっているかもしれないが、本人はそう思っていない)。それは新鮮な驚きだった。ただ、この「心に響く」社会学の存在にうっすらと気づいたことはあった。それは川合隆男先生に機会を与えていただいて、清水幾太郎の評伝「現代社会学の先駆者の栄光と困難」を書いたときである(川合・竹村編『近代日本社会学者小伝』1998,勁草書房)。そのとき清水の自伝の中に「社会学を熱狂的に見出した」という言葉を見つけて、大学1年のとき折原浩先生先生の大教室の講義をその一番後ろで居眠りしながら聞いて社会学を知った私は、「熱狂的」という言葉の強さにギョッとしたのである。そのときは、「そんな社会学、ダメなんじゃない?」と思って「困難」と書いたのだが、「栄光」のほんとうの理由を突き詰めることをしなかった(その後清水幾太郎論がたくさん出たので、私はほとんど読んでいないけれども、きっと解明されたにちがいない)。

「心に響く」社会学というのが、日本の昭和後期のガラパゴスな現象なのか、それともグローバルでヒストリカルな現象なのか、それ自体が知識社会学的な問題である。またそうした現象があるとして、「心に響く」メカニズムをどう社会学的に理解すればいいのか、これまた興味深い。そんな先まで考えていきたいけれども、やはり私は「心に響く」より「頭に響く」社会学の方が性に合っている。

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フロイトから社会学が学ぶこと:「こんな夢を見た」の項の続き

先便「こんな夢を見た」を読んだ母から「事実と違う」というクレームの手紙が来た。80近い母、これまで私の仕事に興味のなかった母がこんな専門色の濃いブログを見つけて読んだこと自体驚きだったが、なぜそうできたか、経緯を想像するのも面白い。もちろん母が「事実と違う」というのは当然である。先便で書きたかったのは、そうした母から見た「事実」に私がもう二度と荷担しないということだったのだ。その底意もどうやら伝わったらしい。

前便「『グリーン・バイブルを知っていますか』」でアメリカ社会学に対するフロイトの影響の速さについて触れた。社会学に留まらず、アメリカ社会そのものにもっと深刻なインパクトを与えたことはよく知られていて、フロイト派の精神分析に基づいて親を訴える子とか、子に訴えられたので逆上して分析医を訴える親とか、大変らしい。しかし社会学への影響に限っていえば、その大きさや深さが正しく計られ、学問的伝統として活かされてきたとは、言えないのではないだろうか。私ははじめて常勤講師として「社会学概論」を担当した時、デュルケム、ウェーバーときて、次はどうしてもフロイトに触れなければ前に進めず、そこで時間を食って、第二次大戦後まで進めなかったが、『グリーン・バイブル』でない、多くの教科書、とくに日本の教科書はフロイトにページを割いていない。しかしそれでは、フロムもエリクソンもアドルノもパーソンズも語れないではないか。

ただし、フロイトから社会学が学ぶとき、パーソンズのやり方ではダメだと思う。むしろ『グリーン・バイブル』の方が正しくて、それは個人現象(水野節夫先生の用語)と社会構造を結ぶ回路を解明するためのパイロット・サーベイなのであり、学ぶべきは理論ではなく方法なのだ。さらにそれは、社会学的思考を求める私自身のネガティヴな経験を社会にポジティヴな参画に開いていくための実践的な方法でもある。その先駆者がフロムとエリクソンなのだ。先便も、別に自分を誉めてくれなかった父母への恨み節が書きたかったのではなくて、戦後日本社会の「社会の心」(吉川徹氏の用語)を探る手がかりを得たかったのだ。

もっともフロイトとて神ではない。とくにその男性中心主義と西欧中心主義は、現代社会学の基盤としては致命的だ、フロイトの神話性に挑戦したのは、私の考えではレヴィ=ストロースだ。ちょうどホッブズにルソーが挑戦したように。だから、このブログがお勧めする本は、ホッブズ、フロイト、レヴィ=ストロースなのである。

自分でももっと深く考えたいと思っているが、誰かスパッとこの辺を鋭く切り出した研究を出してくれないものかしら。切望しています。

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